終わらない歌


 高校生だった70年代前半に、記憶が正しければだけど、山下達郎が深夜放送ラジオ「パック・イン・ミュージック」の第二部でDJ(今でいうラジオ・パーソナリティ)をやっていて、そこで良くビーチ・ボーイズの曲がかかった。住んでいた平塚市の駅ビルにあったヤンレイというレコード屋や、渋谷にあったシスコっていう輸入盤レコード屋で、友人のKくんが何枚かビーチ・ボーイズのアルバムを買っていたし、私も「サーファー・ガール」と題された「イン・マイ・ライフ」の収録されているLPを持っていた。あれはオリジナルアルバムだったのか、ダイジェスト盤(ベスト盤)だったのか。
 1979年、私は社会人一年生だった。夏、江の島のヨットハーバーの駐車場でビーチ・ボーイズの初来日を目玉とするサマー・フェスがあった。ほかにもハートとか、日本からはサザンが出ていたのではなかったか。でもビーチ・ボーイズが出演したところを具体的にはあまり覚えていない。79年だからペット・サウンズが出た66年から13年後のことで、いまの私の年齢からすると13年なんて「ちょっと前」って感覚だけど、そのとき22歳の私にとっては初来日のビーチ・ボーイズとはいえ、すでに人気のピークを越えた「むかしの」バンドが、「なつかしの」名曲を歌っている、って言うような感じを持っていた。なんとまあ、生意気な若造である。
 いま、ブライアン・ウィルソンのことをWikiってみたら、このときにブライアンは来日はしているものの一曲でコーラス参加しただけで、しかも来日の記憶すら残っていない。それほど精神的に落ちていた時期だったと言うことなのだろう。
 ロンドンから日曜に帰国して、火曜からこんどはニューヨークへ出張。機内で「ラブ&マーシー終わらない歌」というブライアン・ウィルソン公認の伝記映画を見た。より高い音楽性に彩られた(いまとなってはロック史に残る名盤である)ペット・サウンズがヒットせず、周囲との確執、やりたい音楽と大衆性の獲得の相反、などがブライアンをむしばんでいく60年代。その経緯がずっと描かれ、また80年代に精神科医の管理監視のもとで自分らしさを封印されている様子。映画の多くの時間がそういう場面構成で、それを鑑賞する私が連続の海外出張で時差がぐちゃぐちゃになっているうえに、出張先での業務が上手くこなせるかというような不安も無きにしも非ずで緊張していることもあり、ずっと見ているのが苦しくなるのだった。
 ペット・サウンズの録音風景(の再現場面)は秀逸。高度な音楽知識や理論とテクニックを有するスタジオミュージシャンがブライアンの音楽性を理解し尊敬していくところは、その後のこのアルバムの評価を知っているだけに、胸が熱くなる。
 最後にその後の人生の良い方向への変転が予見させられ、エンディングのロールアップが始まってから、テキストと実際のブライアンの最新の写真で「その後の人生」が「好転」していくことが示唆される。しかし全体としては本当に見ていて苦しくなる映画なのだった。
 しかし、映画を見てから数日後に、この映画の公式サイトで予告編を見たり、いろんな解説を読んだりしていると、映画を見たときの苦しさが消えていて、なんだか感動してしまう。たぶん、もう一回この映画を見ると、一回目ほどは苦しくなく、余裕を持って音楽の素晴らしさにも感動できるのだろう。
 久しぶりに「ペット・サウンズ」を聴いてみようかな。