異なった写真の尺度


 昨日のブログに載せた写真、木登りをする少年や踏切の少年の写真は、子供らしい遊びの場面で暖かく幸せな気分になれる。自分が子供だった頃を思い出して懐かしくなる。写真の一般的に共通価値が出来ている評価基準からすればもうちょっとこうした方が良いとかああした方が良いとかがあるわけだろうが、それはさておき(そこは私の能力の限界ってことで)「いい場面」だろう。
 最近は肖像権がうるさいようで、この少年の写真にしても顔が正面から写っていないことから、まぁ載せてもいいかな、と思って選んでいるが、どこかはらはらはしてはいる。

 昨日のブログに載せた写真は写真として撮ってもおかしくない場面であることに異論はあんまり起きないのではないか、判りやすい写真的な場面だろう。自分の中に、既存のわかりやすい写真価値基準に準拠していわゆる「いい写真」が撮れたことに満足する価値基準があるが、その一方で、それとは全く別に自分で自分の撮った写真から「いい」とする一般的ではないような価値基準もある。これはどういうことなのか?二重の価値基準を使い分けているってことなのか?なんだか筋が通ってなくてふらふらしている。

 昨日のブログに載せた写真の価値基準とは全く別の、もう一つの基準を発動させると、たとえばここに載せたような写真が気に入っているのだ。