Gallery Koyanagi にて野口里佳写真展「鳥の町」、次いでAKIKO NAGASAWA で東松照明展「太陽の鉛筆」を見る。新橋駅近くのビルの地階でランチの握り寿司を食べる。
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野口里佳は現在住んでいるベルリンから少し行った町に鳥がたくさん渡ってくる場所があるそうだ。一羽だけだったり、数羽が列になっていたり、数十羽が集まってまるで大きな鳥そのもののような形を作りながら飛んで行く。もちろん空を背景にしているが、写真には空と鳥だけのものもあれば、木々や街や家も下の方に写っているものもあった。奥の壁の大きなプリント三枚が面白い。画面いっぱいにたくさんの数十どころかたぶん百羽を超える鳥が飛んでいく様子が写っている。鳥たちは均等近距離に分布しない。列になったり横一線になったりしている部分が複雑に混じっている。子供の頃に小さな数十の点に番号が振ってあるり線をつなぐ絵遊びがあったのを思い出した。1番からたとえば27番まで、番号順に点から点へと線をつないでいくと、何かの絵が浮かび上がるように出来ていた遊びだった。象や飛行機が浮き出てくる。
野口の撮ったたくさんの鳥をつないでいくとなにかが浮かび上がるのではないか。ふとそんなことが思い浮かび楽しくなって、写真をじっと眺めていたが、番号の案内もなく、私には何も形が浮かべない。
野口里佳がこの写真展に合わせて書いている文章で、なぜこの町にばかり鳥が渡ってくるのだろうか?と思ったあとに、急に腑に落ちたと書いてあった。腑に落ちたのはこういうことに気付いたからだそうだ。すなわち、鳥が町に来るようになったのではなくて、鳥が来る場所に町を作った人がいたのだ、ということ。
『空を見ながらここに町を作ろうと思った人たちのことを考えました』
でこの写真家の「口上」が終わっている。なんだかとてもいい感じだった。
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1978年頃に友人にその素晴らしさを聞いたこともあり、すなわち一枚目の海にその姿を反射させた白い綿雲と傾いた水平線が写ったモノクロの写真がものすごく「かっこいい」ということで、東松照明写真集「太陽の鉛筆」を取り寄せてもらおうと近くの書店に頼んでおいたことがあったが、出版社品切れ絶版で取り寄せられないと言う返答だった。それ以降、古本屋のガラスケースの中などに飾られて高値が付いているこの写真集を何度か見かけたものの、簡単には見ることが出来ない写真集だった。それでも何回かは手にしたものだ。東京都写真美術館の図書コーナーなどで見たのだっただろうか。
写真集が手に入らないので、70年代にこのシリーズが掲載された号のカメラ毎日を見かけるたびに買って集めたりもした。いまも自室の本のタワーのどこかにあるだろう。
その太陽の鉛筆がAKAAKA社から再販される。それと同時に写真展も開催される。というので今日見て来た。たまたま会場には私が一人だけだった。今も沖縄列島からさらに南へと、海上の道を辿って写真を記録するような写真行為はすたれていない。多くの写真家を引き付けるテーマなのだろう。あるいは東松さんが先鞭をとって示した「太陽の鉛筆」が、もっと言えばあの一枚目の波照間の海からはじまる写真の一枚一枚に写された生々しい暮らしや自然が、越えられ会い写真としていつもそこに輝いているからか。
一人だけだったから、声に出して「やっぱりすげえなあ」など呟いてしまった。カメラをにらむ少女や婆の力のある目がすごい。汗をかいている肌がすごい。吹き抜けていく暑い風が写っている。
- 作者: 東松照明,伊藤俊治,今福龍太
- 出版社/メーカー: 赤々舎
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: 大型本
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