テールランプと自転車


この1月28日のブログページに、ブレーキ灯を赤く照らした瞬間の自動車(いま、気が付いた。タイトルにはテールランプと書いたが、本当はブレーキ灯だった)と、その自動車と擦れ違うところの、ちょうど自動車の前照灯が照らす範囲からこちら側の闇に入ったばかりで、前照灯に照らされた明るい範囲を背景にしてシルエットになった自転車が、自動車と擦れ違うところが写っている写真をアップしたのが28日がその数日後で、そのままなにも書けないでいて、いまやっとこの文章を書いているのはもう2月の10日だ。いや、正確にはもう日付がかわって、2月の11日になっている。私はもう寝ようと思ってベッドに横になり、枕元の読書灯を付けて、初めて読む乙川優三郎の文庫を読んでいた。すぐに眠くなって、読書灯を付けたまま眠ってしまった。多分、10分か15分かして、肩が寒いから目を覚ます。また、本を手にして少し読み進むが、没入出来ずに、トイレに立ってから、戻り、すぐにベッドに戻らず積んであるCDの塔からアート・ファーマー&ジム・ホールのライブ盤を選んで、掛ける。深夜にふさわしい小さな音で。ベースはスティーブ・スワロー、ドラムスは誰だろう?ベッドに再び横になってスマホでこの文章を書いている。横になったままだとCDケースに手が届かないから、演奏者の名前を確認しない。
CDを掛けてから本棚を見て、十五年くらい前に祐天寺の古書店で買ったフォトテクニック別冊浅井慎平人と作品を抜き出し、その本を持ってベッドに戻った。700円で買ったらしい。最後のページに鉛筆で700と書いてある。祐天寺の古書店でこの本を買ったことをなんとなく覚えているが、同じ本は700円でこの本を買う前から、読んで知っていた。読んで知っていて、好きな本だったから古書店で見つけたときに買ったのだ。
買ったのは1990年代のことだ。95年くらいか。あの頃、会社の仲間と祐天寺にあった(いまもあるかもしれない)辛さを何段階かで調節できるインドカレーの店によく行っていたのだった。南インド風と北インド風とがあり、具の種類がたくさんあり、更に辛さが普通からはじまって三段階か四段階から選べるのだった。一緒にカレーを食べに行く仲間の多くはより辛い北(南だったかな?)にして、かつ辛さの段階も上げて、汗をだらだらと流しながら、山登りのごとくそれを完食し制覇することに達成感なのか優越感なのか、喜びを感じていた。私も私なりに、普通よりは一段階辛くしたりもしたが、早々に自分が一番美味しく食べることができるところにして競争めいた楽しみ方からは降りることにした。だけどいまとなっては自分なりに辛さに挑戦したときの方のことを覚えている。それだけのことでも平凡な日々のなかでは波風になって記憶に刻まれる深さが深まったのか。
ここに挙げたテールランプ(正しくはブレーキ灯)と自転車の写真は、最近撮った、と言うより私の場合は数打てば当たる式なので、撮れていた写真の中では、気に入る、いや、気になる一枚だ。自転車の前照灯の灯りも写っているのもいい。昔のダイナモ式の前照灯だとこうして低速もしくは自動車をやり過ごすための停車中は灯りは消えていた。いまのLEDライトは白くて明るい。自転車がこっちを向いていることがそこから明白だ。このブログのいちばん最初の方に書いたような瞬間がここには写っている。
写真を見ながら自分がこの車の運転手になっているところを想像できるのは、車を運転していて細い夜道で自転車や歩行者と安全に擦れ違うためにブレーキを踏んで減速した経験があるからだろう。そして同じく自転車に乗っている人のことも想像できる。そう言う経験がやはりあるからだ。
 そしてこう言うすれ違いの瞬間はそのまま維持されることは少ない。動いているの中の一瞬の光景だと思う。それはこんな場面に過ぎなくても、変化の中の一瞬であるがゆえに決定的瞬間のような要素を少しだけ持っている。この「少しだけ」は、上記の「容易に想像できる」故の「少しだけ」なのではないか。そして、少しだけだから、絶頂の、最大の、あるいは、二度とない決定的瞬間ほど素晴らしくはない。そのかわり素晴らしすぎて辟易する、とか、素晴らしすぎて却ってダサい、にならない。その辺りが、、、これは自画自賛と言うのか、そうだとすると今度はこの文章がダサいってことなのだが、、、繰り返すが、その辺りが、スルメのようななんとなくいつまでも噛みつづけて味が残るような効果になっていて、この写真を自分では気に入っているってことだろう。
こう書くと私が良しとする写真の条件が「ビミョーな決定的瞬間的であることプラス容易に想像できる被写体の状況」であること、となるわけだが、それは良しと感じる無数の理由のひとつにすぎない。
上記の「浅井慎平人と作品」に何人かの人が文章を寄せている。そのなかに土井鷹雄と言う方の書いた「モノクロームなモノローグ」と言うタイトルのエッセイがある。
抜粋すると、
『ぼくの本棚の片隅に、いろいろな雑物を無造作に投げ入れた、大きなガラス瓶が置いてある。』と始まる。中には、風邪の煎じ薬や、石の小さな結晶や、ジャマイカのマッチ箱、やらが入っているそうで、文章は『実は、この十年程のあいだに、折にふれて浅井慎平から貰ったものばかりが入っている』と続いている。
いま、このブログ記事を書くに当たって土井さんと言う方の、ガラス瓶の話から始まるこのエッセイを全部は読み直していないから、この先がどんな展開になるのかは知らない。ただ、1979年か80年代の前半かに、祐天寺の古書店でこの本を買う十年以上前に最初に図書館だか借りたものだったか立ち読みしたのか、このエッセイを読んだときに、かっこいいなー、と思ってすっかりやられてしまったのだった。そして渋谷の東急ハンズの料理用品のコーナーで、ピクルスを作ったり梅を浸けておいたりするときにでも使うのかな、広口で、ゴムパッキンが蓋の瓶本体との接触部にぐるりと一周付いていて、蓋は瓶本体にヒンジで取りついていて、針金で作られた把手というか簡単なレバー部に所定の方向の力を掛けると、針金が線バネとなって変形して、蓋と広口のあいだに押圧が掛かりながら蓋が閉まったり、反対方向に力を掛けるとそのロックが外れて開く、そう言う仕掛けの瓶を買ってきて、その頃に友人と行った吉祥寺のジャズ喫茶sometimeのマッチ箱と大磯の海岸で拾ってきた小石を早速に入れてみた。
私は世界中を飛び回ってそう言う粋な小物を持って帰っては友人にふとしたタイミングでそれをあげている浅井慎平よりも、浅井慎平のような友人がいて貰ったものをガラス瓶に入れて大事にしている土井鷹雄の方に憧れていたのだと思う。
しかしsometimeのマッチと小石のあとに入れるものが見つからない。いつの間にか拾ってきた小石ばかりが増えていく。
当時の私はスズキのGSX250Tと言う不人気の青いバイクに乗っていた。250Eはヨーロピアンな感じで走り屋連中からも支持されていた、末尾のアルファベッドがLだったかSだったか、はたまたNかもしれない、そう言うのもあってそっちはアメリカンタイプだった。私の乗っていたTはトラディショナルのTで、中間的なデザインで目立たなかった。それが不人気の理由だったのではないか。そのバイクで七里ヶ浜まで、毎週末に行き、それこそ浅井慎平風の写真を撮ろうとしていた。そのついでに小石を拾う。そのうちにsometimeのマッチは小石の重みでつぶれてきたので瓶から救出され、瓶は小石入れと化した。
ある日、また新しく拾った小石を投げ入れたら瓶が割れた。それを機に小石もほとんど捨てた。文鎮になりそうな平たい面を持つ比較的には大きな黒い石だけは捨てずに、会社に持っていき、それこそ書類が風で飛ばなくするための文鎮として使っていた。そうしたら十歳くらい年上のK月先輩が、いい形の石だねえ、と言う。私は浅井慎平が土井鷹雄に小物をあげたときはこんな感じだったのかと思いながら、嬉々として文鎮に使っていた石をK月先輩にあげた。
そんなことをしていた二十代に、この「テールランプと自転車」の写真を良しと感じる判定基準は私には無くて、そのかわりに別の基準があったのだろう。いやいや、自分では変わったつもりでいて、たいして変わってなくて、もしその頃にこの写真が撮れていたら、いまとか同じように気に入ったのかもしれない。