雨の日に


知人が、十文字美信さんが出した150部限定の写真集「或る時」の抽選に当選したので鎌倉にある美信さんのギャラリーまで受け取りに行くと言うので、同行希望を申し出て付いていった。この写真集は市販はされず、知人が応募していたネット申し込みによる抽選だけが手に入れる手段だったそうだ。知らずにいて、抽選に参加さえしなかったのは悔やまれる。
昼過ぎから雨の降る予報で、知人と合流するのは午後3時と言う約束だったので、その頃にはもう雨が降っているだろう。せっかくなので雨の降りだす前から散歩をしてこようと思い、午前9時半には鎌倉駅に着いた。まず、よく行くカフェ・ロンディーノに入り、ハムトーストを食べコーヒーよ飲む。ロンディーノではコーヒーカップを一新したらしく、私の観察するところでは新しいカップは少し背が高くなったようだ、古いカップが持ち帰り自由とメモ書きが貼られた段ボールに十個か二十個か置いてあった。カップにはこのカフェが営業をはじめた年なのだろう1967と言う数字と店名が印刷されている。私の隣の席に座った、どこか遠方から来ているらしい年配の女性が持ち帰り自由のカップを見ながら、鎌倉と書いてないのが残念、といった意味のことを連れの男性に言っているのが聞こえる。毎月は来ないけれど、ずっと何年ものあいだ、年に四から五回はここでコーヒーを飲んでいる私としては、鎌倉などと書かれていない方がずっといい訳だが、なるほど観光客にとってはそう言う価値を求めるのだなとそれはそれで理解できる。
コーヒーも飲み終わり、雨に降られる前に少しでも歩こうと外に出るが、10時、すでに雨が降ったり、また止んだり、しばらくすると強く降ったり、もう不安定さが増し始めている。駅前のロンディーノからはじまる商店街を途中まで歩き、元は安保医院だったそうだ、鎌倉風致保存会のハーフティンバー風の洒落た近代建築の建物のある曲がり角を左に。江の電の線路を越えてバス通りを左に。JRのガードをくぐり、すぐの信号を渡ると正面が農協の連売所。通称はレンバイ。
まだ午前中で、土曜日で、かつ雨模様で、使い古された板の上に並べられた野菜はまだまだ豊富にあり、色とりどりで美しい。赤と紫と黄色の食べるところ(根菜の、即ち蕪や大根や人参の食べるところは「実」とは言わないのだろうが「根」であったとしても「根」と書いて、あまり伝わらない気がする。何だろう?)が色とりどりのラディッシュの束を一つ買い、写真撮影を申し出る。了解をもらってから板の上に並べられた野菜を絞り値を変えたり狙いどころを変えたりしながら何枚か撮る。
レンバイから出ると雨足は強まっている。とうとう折り畳みの傘を出して、今度はJRを潜らずに線路に沿う道を少しだけ上り、久しぶりにbooksモブロに寄る。森山大道写真集「光と影」があり、そっと手に取り捲ってみる。高価(とは言え神田あたりの芸術書専門古書店よりは安価かもしれないが)なのでもちろん買わずに、また慎重に棚に戻した。荒川洋治著「夜のある町で」購入。テイクフリーの北九州や飛騨の宣伝誌(これもちょっと単語が違うなぁ)ももらう。
傘をさしてとぼとぼと由比ヶ浜通り商店街を歩く。土屋鞄をのぞき、公文堂古書店では昭和30年に出版された「カメラ愛好家のための十二章」大束元著を買う。
この本は章ごとに執筆者が振り分けられている。第二章「良い写真とは」は金丸重嶺著。最後のまとめのところの段落から抜粋すると、
『(良い写真とは)画面には主体を強めるようにすべてが配置され、そこに統一と調和とリズムがなければならないということであります。良い写真とは、第一にそれが人の眼をつよく惹きとめる力をもち、第二にそこには内容がある、つまり物語る力をもち、第三にはその力が永続して、いつまでも厭きずに続くものでなければなりません。そしてそれらを決定するものはあなたがたの対象にたいする解釈や、批判や、詩情の中におのずから醸成されるものであります。
(中略)
写真も、結局は、その人間のあらわれなのであります。』とあった。
特に後半がいい。そしてこれから60年も経っているのに私(たち)は、まだ良い写真とは何かが判らずに右往左往している。
傘をさしてまた歩き始める。途中「ウーフカレー」でチキンカレーを食べた。
海岸に出たが沖のサーファーと烏と、群れと離れた大きな鴎が一羽がいるだけだ。履いている布製の黒い靴に雨水が沁みてきた。
午後3時に知人と合流し、雨脚が強まった中、美信さんのギャラリー・ビーへ。約一時間のあいだ美信さんと写真のことを話す。ほとんどはこちらが質問し、懇切丁寧に答えてもらう、そう言う質疑応答のような会話だった。ここにそのいちいちを書くわけには行かないが、感激する。
美信さんのblogにも明かしてあったので、一つだけここに書いてもよいとすると、今、昔撮った写真を整理しながら不要なものはどんどん捨てている、とのことだった。
写真は見るときどきによって見えかたが変わり、昨日のベストが今日は良いと思えず、昨日は目に留まらなかった一点がすごくよく見えてくる、何てことも多々あるのではないか。と言うか、私はそうだ。しかし人生の全体の中で一つ一つをやりっ放しではなく整理整頓しながらきれいにまとめていくためにはそう言うことも超越しなければならないのかな。あるいは十文字美信さんくらいになると、そんな風なぶれた見方、変化する見方、それを越えた絶対的な見方を持っているのだろうか。
コーヒーを飲んでから帰宅する。