相模湾


銀塩換算焦点距離(と言う意味はさておき)が600mmまで、鏡筒がビヨーンと伸びるコンパクトデジカメを借りたので、最近の不調 ~と言うのはこのブログを数日分遡って読むに値しないテキトーな文章を読んでいただければわかるわけだが、そんなどうでもいい文章を読んでいただくこと自体、大変申し訳ないことで、でもそんなことを言い出すとこのブログを読まないでください、と言ってるのと同じで、じゃあなんでいつまでもブログをやり続けているのか?意味のないことならば、そんなんならブログを公開することをやめてしまえ!ってことになるわけだ。でも続けるのだから、申し訳ないです。潔くないってことです。~ 不調を克服すべく、なんて明確な意思、意思?、そんな単語を使うほどしっかりしたものではないんだけど、そうですね、思いがあったのかな、いつも街角をスナップしながら歩くときには広角から標準と言われてきた画角が写る単焦点、ズームではないってことです、単焦点レンズを使っているのに反して、その借りたカメラを持って、土曜日の朝の7時、自家用車を運転してちょうどどこぞへ出掛けると言う家族のSを茅ヶ崎の駅まで乗せて行き、Sを落としたあとに、西隣の平塚市と更にその西にある大磯町の境界あたり、丘陵地帯の東の端にあたる高麗山から尾根続きで、少し広い平らかな土地がその尾根の上に広がっているのでそう呼ばれている湘南平へ行ってみた。いつもと違う超望遠レンズを使って、いつもの街角スナップではなく、風景写真を撮れば、何か気分転換になるかもしれないと思ったのだ。いや、それは発意と期待効果が違うな、多分。超望遠レンズで風景写真を撮ることで、不調を脱しよう、なんて言う明確な発想のベクトルなんかない。たまには、昔みたいに、超望遠で相模湾の風景でも撮ってみようかな、とだけ思ったわけだ。不調との関係など、そう思ったときにはいちいち考えてない。「ただなんとなくの超望遠レンズ」なのだ。昔、二十代三十代の頃に、今ほど写真の多様性みたいなことを鹿爪らしく考えてなく、一般的な尺度の綺麗な花鳥風月やらの風景写真を良しとしていた頃に、よく湘南平に行ったものだった。不調で精神が弱って、弱くなっているので過去を懐かしんで、懐かしくて久し振りにあの頃のように、と言う流れかもしれない。
実は先週の土曜だか日曜にも行ったのです。そのときはいつもの50mm標準レンズがカメラに装着されていると思って出掛けて、いざ湘南平に着いてからカメラをソフトケースから取り出したら広角の28mmが着いているのに気が付いたのだった。気温が低い上に吹き上げてくる風のせいで耳がちぎれそうに痛くなった。すなわち、この湘南平にはテレビの電波を中継して近隣に新鮮な電波を供給、うーんと「撒き散らしてる」って感じもするんだけど、まぁ供給なんだろうな、供給している電波塔がある。その塔の途中まで階段で登れるのだ。登ると塔をぐるりと囲んで通路があって、その南東の角に立つと緩やかに曲線を描いている相模湾の海岸線が見渡せる。江ノ島が海のなかに浮かんでいるように見える。北東には相模平野、なんて名前はないのかな?関東平野の東南の端ってことかな、平塚市伊勢原市厚木市の住宅と畑が混在している平らな土地が広がっているのが見えて、そこを白い線分になった東海道新幹線がピューって音は聞こえないが、ピューっと駆け抜けていくのが見える。眺望がよくて、風景写真を撮るのに良いのだが、風のある寒い日に備え、例えばニット帽とか?があったわけでもなくものすごく寒くて耳は痛くなるし、つらかった。この先週の週末の朝には、三脚を据えて広角ズームを装着した一眼レフカメラを斜め上に向けて、推定すると朝焼けの空を広くとって画面の下の方に高麗山や市街地を置くような構図に設定しているらしい、私より更にご年配のカメラマンと、小さなコンデジでなぜか忙しくテレビ塔の通路を行ったり来たりしながら写真を撮っている四十代と思われるすらりとした体型の男、と言う二人の先客があった。北の方の町には日がさしているのに湘南平相模湾の上には低く雲が垂れて覆っていた。三脚を据えたオジサンは、ほとんどシャッターを切らずに、朝焼けにはならなかった空を恨めしそうにかどうかは不明だが、見上げてから三脚とカメラを片付けた。それが先週で、今週、3月26日の土曜日は耳がちぎれそうになった先週の状況を踏まえて、今度はもう季節外れな厚手のダウンジャンパーを着て、首にはマフラーを巻き、更にニット帽も被った。そして冒頭に書いたように、借りてきた超望遠の画角もカバーしているコンデジを持って行った。先週より一時間ほど遅い時刻だった。麓の街に住んでいるのか、あるいは麓に老人ホームがあるのかな、先週の時刻、と言うのは6時少し前頃には、何人もの老人が朝のウォーキングなのだろう結構な上り勾配の道路を歩いていた。車の通行台数が少ないためか、道の真ん中を歩いているので、注意してゆっくりと運転した。 毎日か週末だけの習慣なのかわからないが、もしこのちょっとした山登りが毎日のことなのだとすると、このご老人たちの足腰は相当鍛えられているんだろうな。
さて、今日、3月26日の土曜日は先週より一時間くらい遅い時刻だった。もうこの時刻は彼らには朝の遅い時刻なのか、先週と比べて老人の数が少なかった。さらに、朝焼けのシャッターチャンスの時刻もとっくに過ぎたのか、テレビ塔の通路には、私と行き違いで五人くらいの徹夜明けに遊びに寄ったのかな、学生らしい連中が降りていって、以降は誰も来なかった。金曜日の夜の天気予報によれば、今日の土曜も明日の日曜もぱっとしない天気らしい。晴れるのは土曜の午前から昼くらい。日曜になれば雨も降るかもしれない、そうなっていた。天気予報の通りに雲が垂れ込め、予報以上に晴れからは遠そうだ。相模湾の上も、雲が垂れ込める。しかしその雲に隙間があって海の上に光の横一線の筋が出来ていた。
そこで早速に借りてきたコンデジのズームレバーを操作して、有無を言わさずとにかく一番の望遠の状態にした。それから背面液晶を見ると目ではよく見えなかった漁船があちらこちらに浮かんでいるのがわかった。背面液晶を見るときは眼鏡越しだと距離が近くてピントが合わないので眼鏡を下にずらして見る。それから実際の風景に目を転じると今度は近視なのでよく見えない。今度はずらしたら眼鏡を正しくかける。視線を実際の風景と背面液晶とのあいだで行ったり来たりさせたいときには使いづらい。
こんな写真を撮っているうちに、ちょっといい気分になってくる。たしかに不調を脱っする切っ掛けになりそうではないか。

ところで石田千著「バスを待って」を読んでいる。田中小実昌に「バスに乗って」って本があった気がする。石田千の気持ちのどこかに田中小実昌へのオマージュのような気持ちがあるのかな?あるような気がするが、それを例えば後書きには記していないので、想像たくましくするだけだ。でも、なんとなくだけど石田千は小実昌さんを好きなような気がする。すいません適当なことを書いているね。
石田千の文体は変わらないが、同じ文体でも、文体とは関係のないところで、この作家、実は冷徹過ぎないか?と思ったことが何度かあった。デビューしたてのころに何冊か本を読んでそう感じた。その冷たさがあまり好きではなくて、最近は読んでいなかった。観察者は放っておくと知らず知らずのうちに冷徹な視線を纏うのではないか。
ところが久し振りに読んだ石田千の短編集には、文体こそ同じなのだが、もっと膨よかで暖かさに満ちていた。いや、本当にそうなのかな、読んだときのこっちの気分の問題かな。
バスがなんらか絡んでいるのが共通の約束ごとの20編の短い小説集。なかにはぱっとしないのもあったかも。でも、凄く感動したものもあった。

天気予報に反して、午後になっても晴れている。JR京浜東北線の石川町まで電車に乗って行く。駅の高架下みたいな場所にある古い喫茶店でスパゲッティナポリタンを食べ、珈琲を飲んだ。昼食です。そのあと元町商店街の裏にあった階段を上ったら、フェリス女学院の横に出た。尾根道を歩いて港の見える丘公園。その近くの神奈川近代文学館。今日から始まった夏目漱石没後百年記念の展示を見る。
展示を見終わってから外に出ると、まだまだ晴れている。えっ、最近の天気予報はあまりに正確すぎて外れることなどないんじゃないの?外れてるー。
それで例えば山下公園の辺りから超望遠レンズでこんな風に大桟橋を撮ってみた。超望遠レンズで撮っても、それでも点景にしか人が写らないくらいの遠くから、大勢の人が散らばっているような写真が撮りたいと思っている。超望遠レンズスナップってこと。もう、相模湾の風景を撮ったような、いつになく素直な気持ちがなくなっていた。