薔薇と海と

平塚市の郊外にある神奈川県立、なのかな?花菜ガーテンの春の薔薇が見頃になっていると人づてに聞いた。ちょうど100mmのマクロレンズを借りていたので、じゃぁ行ってみるか、と、日曜日の朝の6時くらいかな、目が覚めて外を見て、快晴を確認してから決めた。ホームページを見ると開園時刻は9時とあったから、それを見越してだいたい9時に着くように車で出発した。ナビの言う通りに、国道1号線茅ヶ崎市から平塚市へと、その境界になっている相模川を渡り、平塚八幡宮で斜め右へ曲がり、横浜ゴムの工場を右手に追分交差点へと進む。道沿いの街路樹は銀杏で、新緑がとても美しい。横浜ゴム正門を過ぎた辺りから追分交差点までのあいだは私の小学校中学校時代の通学路だった。だからと言って、なにか特別に感慨があるわけでもないが。ただ、この銀杏の木が私が小学校中学校時代にあったのかどうか?その頃は違う種類の街路樹だったものがいつか植え替えられたのか、そもそも当時街路樹があったのか、そう言うことはなにも覚えてないな、とは思った。
追分交差点にあった鈴木書店は既にだいぶ前からなくなっているようだ。その書店で中学生の頃に、例えば「老人と海」の文庫本を買ったのだ。立ち読みしていると、はたきを持ったおばちゃんが登場すると言う、当時の典型的な書店だった、、、と、思う。
道に面して入口が二ヶ所あって、その中間に屋外を背にして店番が据わっていると言う、街の個人経営書店の規準のような造りだった。
子供の頃に住んでいた家は、追分交差点を右折した方にあったが、今日は直進する。カーラジオは音楽データを入れたUSBをさすとか、CDを入れるかをしなければ、FM横浜が流れる設定になっている。納車したときからそうだった。自動車販売店とラジオ局のあいだに契約でもあるのか、ただその自動車販売店がそうしているのか。それとも担当販売員とか整備士の好み?まさか、お客さんの嗜好を推察して販売員が設定しているのか?前のSUV車にはハードディスクがあって、一度かけたCDデータはそこに全部記録されたから、十年以上乗っていたあいだに二百枚とかのCDデータが入っていた。半分は家族の女性陣が入れたアイドルの歌だった。エンジンをかけると前に乗っていたときに選ばれていたデータのつづきが再生された。アイドルのまま放っておいたこともあるし、自分が入れた他のデータに変更することもあった。いずれにしてもFMをかけることはほぼなかった。前の前の車、1990年代後半から10年ほど乗っていた八人乗りワゴンは、カセットテープを使っていた。もうカセットの時代じゃなかったかもしれないな。オプション設定したのだったかな。この前の前のワゴン車の頃にはたまにFMを聞いていた。前のSUV車ではハードディスクに一杯データが入っていたこともあってラジオなど聞かなかった。家でラジオを聞くこともないから、前の車の十年ほどはラジオを聞かない十年だった。結果として。
今朝は渡辺香津美ドガタナと言うCDを持ってきたのでそれを流していてFMは聞かなかった。昨日の土曜日にちょっとした用事が三つほど重なり、ちょこまかと車を運転したそのときはFM横浜を聞いた。前の前のワゴン車のころにも小山薫堂と柳井真希がパーソナリティー(私が高校生のころはDJと言ってたが)をしている土曜の朝の番組はあった。それがまだ続いている。二十年近く続いているってことか。多分、小山薫堂も柳井真希も二十年のあいだに、年を経て、外観は変化したに違いない。だけど声はあまり変わっていない。同じ番組で、変わらない声で、同じようなだらだらした内容で、ラジオ番組が始まると、あいだに十年くらいこの番組をほとんど聞いてなかった(たまに床屋で流れていた)ことの欠如していた時間などなかったようにしっくりと来る。それに驚いた。時間の軸のあいだを切り出して捨てて、過去と今をぎゅっと引っ張ってくっ付けたみたいだった。
渡辺香津美のドカタナをかけながら花菜ガーデンへとさらに車を走らせる。1981年のアルバムが90年代後半にCDになったときに買ったのだろう。車を運転しながら聞くのに適した曲ってあるのか?明るくて、軽快なテンポで、長調で、聞きやすくて、爽やか、とか?私はそう言うこだわりがない。暗い短調のバラッドで、難解でわかりにくい、でも構わない。同乗者にブーイングされることもある。こんなの聞きながらよく運転できるね、よく眠くならないね。これはいい方で、このまえチック・コリアとリターン・トゥ・フォーエバーの「リターン・トゥ・フォーエバー」即ちカモメのアルバムをかけたとき、一曲目のちょっと謎めいた妖艶と言うか奇っ怪と言うか、あの曲が流れ始めると頭痛がしそうだと。まぁ、そうだろう。ラストのラ・フィエスタの色とりどりの光が飛び回るような美しい終焉に至るまでの助走のような始まりで、私は助走だと知っているからワクワクするけど、はじめて、それも車のなかで聞かされたら、たしかにブーイングかもしれない。
追分交差点を越して右側は私の母校の高等学校。さらに数百メートル進んだ左側は高校時代の同級生で写真部仲間だったS君の家。いま、S君は別の、もっと海に近いところに住んでいて、もうお子さんも巣だって、お孫さんもいる。ここはS君か高校生の頃に住んでいた家のあたりで、即ちご実家だが、今どうなっているのかは知らない。
16才のときに、S君の家に写真部の何人かで集まり、夜を待って、S君の部屋の窓に暗室カーテンを引いて、写真の引き伸ばしを、一人 30分とか、時間を決めてやったことが二度か三度あった。待っているあいだにその頃高校で異様に流行していたトランプ遊び、ナポレオンだったかな、それに少し似ている別のゲームだった気もするが、をしたり、S君の持っていた楽器をいじったり、LPレコードを聞いたりしていた。S君はプログレッシブロックのレコードをたくさん持っていた。エマーソン・レイク&パーマーやイエス。部屋から屋根に出ることが出来た。屋根に座って友達となにかを語っている。なんかねえ、青春映画の定番場面みたいだった。
S君に一通りの暗室作業を教わった。現像液が酸化しないよう泡を巻き込まずに撹拌する方法。液体が張られたままのバットを液を溢さずに持つ方法。印画紙を現像液に斜めから波を立てずにさっと浸す方法。
そのあと数ヵ月のあいだにK君も私も自分の引き伸ばし機を親にねだって買ってもらっていた。
やがて車は金目川沿いの、秦野街道との交差点に至る。交差点を右折して秦野街道を北上する。
花菜ガーデンへ右折する信号の手前から、右折したあとも駐車場まで、ずっと車の列が出来ている。そこでナビの地図を見ながらひとつ先の信号まで行き、そこを右折してから、何度か曲がって、花菜ガーデンの駐車場にさっきの列とは反対から行ってみる。すると列はなく、すいっと駐車場に入ることが出来た。
マクロレンズで花を撮ることなんてほとんどやらない。どう撮りたいか?と言う思いやこだわりがない。ただどうせならマクロレンズじゃないと撮れないところまで倍率を高めようと、技術的なことを背景に、ひたすら接近して行く。花弁の端っこの作る線を山の稜線のように見立ててみる。

昼頃に帰宅してから、午後は、今度はバスと電車で鎌倉へ行った。