爽やかな土曜日

21日の土曜日。朝、宇都宮の単身アパートを出発して、湘南新宿ラインで新宿へ、地下鉄大江戸線に乗り換えて10時過ぎに六本木。ヒルズの森美術館で開催中の六本木クロッシング2016の招待券をもらったので行ってみる。日本を中心とした若手の現代美術家による三年に一度、恒例の展覧会らしい。同時開催で長蛇の列になっているセーラームーン展の列の脇をすり抜けて入る。
一時間程度と予定して、そのあとにオペラシティで開催しているライアン・マッギンレー展、ギャラリー916の川内倫子展、と回り、夕方の6時からは平塚市BMWスタジアムでJ1の湘南仙台戦を観戦する、と言うのが事前の計画だったのだが、結果としては六本木クロッシングか見応えがあり、作品の多くがビデオ作品または所定の時間で仕掛けの動きが完結する作品で、8分、15分、20分とそれぞれ最初からちゃんと観ていくと時間がかかることもあって、とても一時間なんかでは見終わらない。見終わったあと屋上の展望デッキで東京の街を眺めた時間も入れると三時間以上森美術館で時間を過ごした。ライアン・マッギンレーと川内倫子は、そんなわけで持ち越し。
そのかわりにIMAの展覧会情報でチェックしておいた、末広町のGallery OUT of PLACE TOKIOで開催中のポルトガルの写真家 José Pedro Cortes の写真展を観てきた。
クロッシングで楽しみにしていたのは、さわひらき、と、ミヤギフトシ、の二人で、二人の作品は期待にたがわず良くできていた。さわひらき作品は、何年か前に東京都写真美術館ワタリウムで、何かの企画展を見に行ったときに、室内を音もなくスッーっと旅客機が飛んで行く、床やベッドから離陸したり、浴室の上を横切ったりする、さわさんのモノクロのビデオ作品を目にしていた。子供の頃に「オモチャのチャチャチャ」って曲をよく聴いたり歌ったりした。あるいは自分の子供が幼かった頃にも耳にする機会があったのかもしれない。真夜中に博物館の展示物が動き出す映画、私は観たことがないが、ナイトミュージアムって作品だっけか、そんな発想って大昔からあるんだろうな。使いふるされた道具が命を得て動き回っているような百鬼夜行絵巻なんかも。即ちオモチャにせよ道具って使っているうちに愛着が湧いてくるからそこに命があるように描きたくなる。道具に愛着を覚えたり信頼を寄せたりする。ナイトミュージアムはそれとはちょっと違うのかな?
さわひらき氏の室内を音もなく飛行する旅客機の動画作品も同じような発想、夜になるとオモチャや道具が動き出すと言う発想から生まれたのか、全く違うのか?ただ、オモチャのチャチャチャにせよ百鬼夜行絵巻にせよ、どんひゃらと楽しげで騒々しいような感じもなくはないのに対して、さわ氏の作品は静謐であるところが面白い。真夜中に、音もせず、不意に流れる流星を、寝転がってじっと待っている感じが近いかな。
私は上記の旅客機が室内を飛ぶ作品しか知らなかった。そのさわ氏の出展作タイトルは「カメラの中の男」。動画作品が映されている部屋には、壁に、白い線で絵が描き込めれた小さな古い写真をおさめた額が三つ、スクリーンに向かって右手前に、フィンのある暖房器具のように見えるオブジェが一つ、そんなのがあるが、動画が流れるスクリーンに目を奪われることで、そう言う部屋全体のレイアウトが何を意味してる?示唆してる?現してる?のかはそのときには考えもしなかった。動画は例によってモノクロ作品、かと思いきや途中でカラーの場面も少しだけ挟まれている。古そうな板張りの部屋。実写で映る男の手や床や、床の木の隙間やオモチャの木製階段のような小物や、机。それを舞台に、展示された写真の上の白いイラスト同様に、動画のフイルム?の上に白や黒の線で書き込まれた、水滴や実写でも出てくるのと同じ木製の階段のようなものやあやふやな男の影が動く。実写のささやかな世界と描き込まれたささやかな世界が梯子で行き来できる「感じ」で交錯しているのか。展示された部屋がカメラの本体になり、そこから覗き見ているのが動画作品に当たるのか?実写で表現された実世界に、書き込まれたイラストがカメラの中の男の想像や妄想を示すのか?
前述した室内を音もなく飛ぶ飛行機の作品と比べると、謎めいている。怪しい感じもする。少しだけ。
他の作品にも同じようなことを感じたが、その作品自体が誰でもにすぐわかるような個別の物語や、具体的なストーリーが希薄。それなのに確実に感覚、と言うのか、感情を揺すぶられている。感情の既視感を覚える。この感じってなんだっけ?と言ったような。そう言うところに、私は現代美術の面白さを感じているのか。でも、こんな風に書きながら、当たり前のことを書いてる気がしてきた。現代美術に限らずすべての創作は、混沌からの取捨選択のようなことなのかもしれない。
ミヤギフトシ作品にはもっとずっと物語があるが、物語はさておき、昔一度だけ会った年上の男エスへの仄かな恋情を匂わせる同性愛者らしい男の記憶の独白の場面で流れる都会の片隅の風景を短い動画で繋いだ映像がすばらしい。それは絶景の風景、どこか秘境に行かないと出会えない風景とは違って、我々が属している日常の風景で、それなのにそこをこう見ていけばこんなにもセンチメンタルなんだと思わせる。センチメンタルと書いたのは、それらの被写体が記憶の入り口になっているからか。映像に被せて語られる話は、ちょいと小難しく、聞き取りづらく、私はその話は一回だけ見たのではちんぷんかんぷん、その話にこめられた思いを受けて反応を膨らませることは知識不足で、出来ないけれど、やはり感情の既視感だなと思った。

ミヤギフトシ作品に添えられていた解説は、ここで読むことが出来ます。
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2016/artists_works/index.html



サッカーのこと)
昨年は一回だけ、今年のシーズンは三回、湘南ベルマーレのホームの平塚BMWスタジアムにJリーグのリーグ戦を観戦に行っているが、これがなかなか勝たない。昨年の一試合こそ引き分けだったが今年は三回とも敗戦だ。
予算の少ないチームの宿命として既に完成され評価の確立した「計算の立つ」選手を獲得するのは困難だ。自然、育成形のチームになり、それが実った年には、それも同時に何人もの選手が急成長したときには一瞬強くなるが、そうして育った選手は結局のところ年俸競争に負けて放出せざるを得なくなる。そこでまた他チームの控え選手やら、ルーキーを獲得して、他チームを上回ることを目指して、ある意味、振り出しに戻って、一からやり直して、チームを作っていくことになる。
詳しいことは知らないが、こう言う育成形チームが育てた選手が他チームに移籍するときに、今のJリーグの決まりだと、移籍金がチームに落ちることもあまりないと聞く。
こう言うチームがなんとかJ1リーグに居続けるには、弱いなりに勝ち点を稼げる守備的な戦術をとって、数少ないカウンター攻撃のチャンスを活かすというやり方があるだろう。そのために適した大型の外国人フォワード獲得に資金を集中する、そんなやり方もあるかもしれない。だけど、こう言う戦術は、まぁ多分、あんまり面白くはない。勝てば何でもいいって考え方もあるのだろうが。
それから、チームのコンセプトやスタイルをぶれずに浸透させて、なるべく早急に「超一流や一流とまでは言えない」選手を効率的に動かしてチームとしての強さを纏う必要もあるだろう。そして、そのなかで上述のようにいつかは資金力のあるチームに引き抜かれるかもしれないが、それでも育ってもらわなければならない。
そのためには、そう言うチームに適した手腕を持つ監督が望まれる。
敗戦が続くとタラレバが語られて、戦犯捜しも始まって、いろんな条件から獲得不能の選手を欲しいと思い、今いる戦力に限るとそれしか選択肢のない選手選択が悪いと勘違いをして「やめろ」とか「出すな」と主張する輩も出てくる。
更に、仮に上記のような監督が獲得出来ていても、成果が上がれば監督だって引き抜かれる。
こう言う状態から少しづつ抜け出すにはサポーターの数を増して、入場者収入を増やしたり、グッズ販売を伸ばしたり、そう言うサポーターからの収入を増やすことも重要になるが、神奈川県には川崎にも横浜にもJ1リーグに所属出来ているチームがあり、サポーターを増やすには、鶏と卵の関係のようにチームが強いことが、それからゲームが面白いことが望まれてくる。平塚BMW競技場は収容人員も小規模で満員が続いても、他チームと比べると入場収入の急増は望めないだろう。
即ちギリギリの状態のなかで、なんとか良い方向を探す、と言うことを理解した上で応援をしないと、やってられないのである。言い換えると、こう言う状態から少しでも好転をするように応援をするのが醍醐味なのである。
1994年、Jリーグに上がってきたベルマーレは今で言う第一ステージでは12チーム中11位だった。ところが第二ステージには優勝争いを演じて二位になった。あの頃はゼネコンのフジタがバックにあったから資金的には問題がなかったのかもしれないが、それにしても、上に書いたような分析結果を覆すように、どこかの歯車が急に噛み合い、分析などふっ飛ばして奇跡のように思える結果が起きることがある。今年のレスターのように。
もしかしたら今度こそそうなるかもしれない。だからベルマーレを応援することは、面白い。ごくまれに、他チームでは味わえないような夢を見ているような気分になれる、、、可能性がある。
守備的なシステムからカウンターを狙うのではなく、走って前からプレスをかけて全員攻撃をする湘南スタイルと呼ばれる戦術も魅力的。ちょっとだけ好転すればサポーターの数もジワジワ増えるかもしれない。
今の残留より、理想の追求が、長い目で見たときに安定的な強豪に繋がることを目指しているのが、まぁ魅力な訳です。
それにしてもやっぱり勝ってくれー!