鴨川沿いの道


さて、腹を下してしまった土曜日、止瀉薬の大量投与が奏功して、あるいはそれでごまかしているだけ、と言う見方も出来るか、午後の2時くらいになって一応は腹下しが止まった。そこで、午前から過ごしていた京都駅周辺、と言うのもトイレの確保が用意だからその辺りにとどまっていたのだが、そこから奈良線に一駅乗って東福寺へ。芬陀院の雪舟の石庭を見に行った。見に行く、と言うよりその場に属しに行くのだろう。南側の雪舟作の鶴亀の庭、だけでなく、東側には重森三玲作庭の小さめの庭もある。ほかの石庭を眺められる寺院と比べて、この芬陀院はずーっと庭を眺めながら物思いにふけることが一層できる。・・・気がする。あまりに気持ちがよいからだろう、座布団を並べて昼寝をしているお爺さんもいた。見ていると皆さんずっといて、なかなか帰らない。鶴亀の庭の向こうは竹林が、この日は暑いが風があったから、葉擦れの音を立て、風に耐えられなくなった竹の葉が石庭の上にひらひら落ちてくる。
竹って葉を散らすものなのか?そうだとするとどの季節に?そんなことも知らないものだ。子供の頃に住んでいた平屋の二軒長屋にあった小さな納屋(風呂を沸かす薪やら、生ゴミを棄てる穴を掘るスコップやら、もう使わなくなった自転車、などがしまわれていた)の横にほんの3メーター四方くらいの竹の自生しているスペースがあったが、だからと言って竹落葉の季節など覚えなかった。この小さな竹林は私が12才の頃に一斉に花を咲かせてから枯れてしまった。なんか、エイリアンのような形の、まぁネバネバはしてないけど、花だった。
そこでネット検索で「竹の落葉」と入れてみたら、竹落葉と言う初夏の季語があることを、いま、知った。たけおちば、と言うそうだ。
鴬が鳴いている。なかなか上手く鳴くようだ。数羽の小鳥の集団が右から左へ、姿を見せないままチッチと言う鳴き声だけを残して通り過ぎる。しばらくして今度は左から右へ。ちらっと見えた鳥の方にカメラを向けて、ズームしてからシャッターを適当に押す。再生し拡大したら、シジュウカラが写っていた。しかしこんなことするなんて無粋ではないのか。
それから、デイバックから本を取り出す。昨日、寺町×丸太町上がる、京都市役所隣の雑居ビル二階にある、中古レコード・CDと古本の店で二冊買ったうちの一冊、夜なき夜、昼なき昼/ミシェル・レリス、を読む。数行から数ページの夢の記録と、その夢を見るのに関係していたと思われる現実の出来事と、夢と直接は関係ないが現実に起きたエピソードが、6:3:1くらいで続く。何年にも亘って夢日記のように。それをそれこそ夢うつつのように、意味を把握しなかったり、ちゃんと理解したり、そんな斑模様のまま、理解してなくても読み返さずにページをめくる。この本は、そんな風でもかまわない。