多摩川の下流を見に行く

ちょっとわけありってことで、十日ほど、アルコール禁止、消化のよいものを食べること、運動はダメ。その四日目の土曜。運動もダメと言われて、運動などなにもやっていないのにウォーキングもですか?と聞いてみて、それもダメだと言われてがっかり。普段、アルコールはからきしダメで、飲めないくせに肝臓の検査値か悪くなると(脂肪肝なのか体質なのか?)ひとつきくらい、本当にアルコールをまったく口にしないこともおちゃのこさいさい。なのだが、自主規制のときは出来るのに、指示されるとちょっと不満を感じる。ウォーキングダメとは言え、ゆっくりと、ふらふら、のたのた、とぼとぼ、歩く分にはいいんじゃないのか。
大竹聡著「多摩川飲み下り」と言う本を読んだ。大竹聡と言う方の顔を知らない。少し前に呑み鉄と称して鉄道旅×居酒屋巡りを基本行動とする俳優の六角精児の旅番組をテレビで見たこともあり、本を読んでいると、大竹聡が六角精児に置き換わって多摩川飲み下りしているところを思い描く。
土曜日は快晴。京急蒲田駅から羽田空港行きの電車に乗って(それにしてもこの駅の二階建て(改札階入れると三階建て)のホームの構造はわかりにくい!)天空橋駅へと向かう。最初は次に来る羽田空港行きを待とうと上の階のホームに上がったが、放送をよく聞いていると次の電車は天空橋には停まらないらしい。そこで長い直通エスカレーターを上がってきたのに、また下がる。JRならば特急、急行、準急(は、いまはないか?)、快速、普通、と、序列のようなことは子供の頃から知っている。なぜなら住んでいた平塚市国鉄平塚駅が最寄り駅だったし。私鉄の序列が今でもわからない。快速特急と急行と快速と特急の序列がわからない。あるいはこの四つの名前は、複数の鉄道会社の言い方をまぜこぜにしてるのかもしれない。天空橋に停まらないのと停まるのと、どっちも普通ではなくて、しかもそれぞれの名前(もう忘れたが、)の序列がぴんとこなかった。
注意散漫な自分が悪いわけだが、なんだか馬鹿にされた気がしてムッとなる。
なんてこともあったが、天空橋を通り越さずに無事にこのはじめて降りる駅に着いた。そこから、のろのろふらふら歩き出す。海老取川沿いに歩きじきに多摩川本流との合流場所に着く。平和と書かれた大きな鳥居がある広場のような場所は、多摩川沿いの自転車道をずっと走ってきた人たちにとっての終着場所となるのか次々と自転車がやって来る。着くと自転車から降りて、ヘルメットを脱ぎ、なにも言わずに(日本としては)大河の流れを眺める人たち。かっこいいじゃないの。
海老取川ははぜ釣りの名所らしいが、しかしはぜ釣りの季節がいつなのかも知らない。適度の間隔で釣りの人達が糸を垂れている。ちょうど釣れた人がいて、その魚を見たがハゼではなかった。ボラでもなかったような。
高田渡の歌のように日がな一日、日暮れまで、のんびりと魚釣りをして過ごす。そんなことはついぞしたことがないな。でも見ていると、あくせく電車を乗り継いでは、混んでいる美術展やスポーツ観戦や人気レストランに駆けずり回るなんて、バカじゃないかと思ったりもする。
歩いていると、予想外な場所に、70才かもっと上のお爺さんがいる。一般道の橋のしまいの法面と、そこから上へ伸びている高速の橋の太い支柱。法面と一般道の歩道のあいだにはガードレールがある訳だが、このガードレールを跨いだのか、跨いですぐの法面の傾斜の一番上の辺りに座り込んでいるお爺さんとか。微動だにしない。目の前には支柱。その脇から河川敷の野球場が見えないこともないが試合は終わっている。上の高速と後ろの片側二車線の一般道を通る車両の騒音がうるさいだろうし、空気も悪いのに。これは一例。他にも不意にたたずんでいる人に出会って驚く。
大師橋を渡って京急大師線にのって帰った。


写真は帰り道に寄った横浜駅西口あたり。久し振りにタワレコに行き、ポップの紹介文章だけを頼りに新しいロックのアルバムを二枚買う。ジャケ買い的要素もコミコミで。星三つ満点として、よくて一つ半て感じだった。もうこんな買い方で出会いを感じられる年じゃないな。もう新しいバンドに星三つを感じることはないのかな。