城ケ島


どんな話だったかは覚えていないが、小沼丹に自動車旅行と言う短編があった。小沼丹私小説風の短編小説で活躍していた頃の作品だとすると、昭和30年代40年代に書かれたのだろう。
そのころの自動車旅行の私自身の実体験で思い出せるのが、父か母のどちらかに自動車を買った友人がついに現れ、その人に誘われて、はじめての自家用車の旅行に、当時住んでいた神奈川県平塚市の自宅から油壺(三浦半島にある水族館や港のある観光名所)ドライブへ日帰りで行ったことだ。車種はハブリカかブルーバードだったと思う。私が幼稚園児か小学校の低学年かの頃のことだ。途中、道を間違えて、車の持ち主のおじさんが地図を見ながら首を捻っている場面を覚えている。トンネルも通った。トンネルに向かって車が進むところを後部座席から見た光景も覚えている。道路は国道であってもまだまだ未舗装のところもたくさんあっただろう。車も、今よりずっと故障しやすかったに違いない。子供だった私でも、にわか知識にせよオーバーヒートやエンストと言う単語を知っていた。世の中でそう言う単語が一般化していった頃なのだ。
車のグレードの上位をデラックスと言って上等ってことだ。もしかするとデラックスって言う単語もここから覚えたのかもしれない。
油壺への、多分はじめての自動車日帰り旅行は、まだまだ冒険に出るような、それはおおげさだとしても、今より準備と備えと覚悟が必要なことで、その分、期待や不安があり、すなわちワクワクすることだった。さしずめ今なら、軽登山にはじめて行くために道具を揃え、ちょっとだけ知識を仕入れる必要もある、そんなところだ。いやいや、これも違うなあ。登山も同じようにずっと簡単になっているのではないか。登山のことを知らないから、こんな比喩を、たぶん「間違って」持ち出している。
 自家用車の安全性や快適性や操作性の向上、堅牢て耐久性の向上、メンテナンスフリー化。道路網の整備と拡大。給油所や駐車場の増加。そういうことがハードルを下げた。今年の春に自家用車を買い換えた。十年くらい乗っていた前の車のエンジンルームを見たのは、洗浄液を入れ換えた一回しかなかった気がする。教習所では運転を始める前に始業点検を必ずやらなければならないと教わったが、そんなことは事実上不要になっている。この「油壷」への最初の自動車旅行のときではないにせよ、あの頃、箱根の山を車で登ると、オーバーヒートで停車している車をよく見かけたものだった。
 安心と言ったり便利と言ったり、それが進むと普及する。普及すると冒険ではなくなる。そういうことか。
 
 12日の土曜日に所要があって茅ヶ崎駅近くのスマホの店に家族のMと行く。そのあと、近くの熊やで海丼+牡蠣フライを食べてから、天気も良いことだし、油壷じゃないけれどその近くの城ケ島へ行ってみようかとふと思いつく。城ケ島にも、上記の子供のころの初めての自動車旅行のときに寄ったのかもしれない。港にとまった大きな船の横を走る観光用のモーターボートに乗った記憶があるのだ。乗ってしまえば楽しかったが、乗る前はなんだか不満でぐずぐずと泣き虫になっていて叱られたかなだめられたか笑われたかしたような記憶。
 それ以来、一度も来たことがなかった城ケ島だった。
 京急城ケ島ホテルの前の浜、夕暮れを迎えている。言葉がわからないが、いい時間だった。人を無口にするような時間。無口なのに誰かがいることが必要な時間。過去を振り返ったときに、いろいろあったけど、総じて悪くなかったな、と思うような時間。
 一番下の写真。こうして「秋の日は釣瓶落とし」でも暗くなるのと競争するようにみんなで遊ぶのが昭和30年代40年代には普通だった。いまも暗くなるのと競争してみんなで遊んでいる小学生がいるのがいいなあ。