操上和美トークショーなどなど


 まだ二十代の某氏は、大阪府と北海道を経ていまは栃木県に住んでいて東京のあちこちには行っていない。その某氏が私も聞きに行く予約をしていた操上和美トークショーを品川まで聞きに行くというから、それではその前と後に、どこかを案内しましょう、と言うことになった。案内と言っても、ただ町をぶらつくだけである。私がカメラを持ってストリートスナップをするときに、日や時間にもよるがだいたい一日に300枚くらいがちょうどいいところのようだ。最近は200枚くらいかもしれない。それくらい撮ると、自分でも気が付いていないが、こう・・・お腹が満腹になってもう食べなくていいや、と思う感じに近いんじゃないかな、目が被写体を探しながら歩くその行為がいい加減になっていく。若い某君は、若いゆえってこともあるのか、その枚数が500枚とか600枚にのぼる。そうなると隣を歩いている私も影響を受けるのかと言うと、必ずしもそうではなくて、こっちのペースは変わらずにいて、なにをそんなに撮ってるのかねまったく、なんて思うのだった。そうか私が撮り歩いているときに、例えばよこに家族の誰かが一緒にいると、私があちこち撮っていることをちょっとだけ否定的に見ている感じを受けるが(それで家族といると遠慮して撮るペースが乱されて落ちる)、その家族の感じていることが判るようだった。
 トークショーの前、正午に下北沢で某氏と待ち合わせ、中華料理の萊亭で通称「赤い炒飯」を食べる。半炒飯と半ラーメンと焼き餃子。これは実に定番ではないか。
 でも私が学生のころ、下宿をしていた名古屋の家の近くにあった中華料理店では天津飯と焼き餃子をよく食べていた。炒飯やラーメンよりも。カウンター席に座ってナイターが映ったテレビをときどき見上げては、あとは漫画週刊誌を読んだものだ。天津丼が出てくるまでの時間にね。私は漫画を読んでこなかったそのせいで漫画を読む能力がない。ただ、学生の四年間だけは中華料理店に行ったときだけは漫画週刊誌を読んでいた。たいていはビックコミックオリジナルって週刊誌だったと思う。浮浪雲三丁目の夕日だったかな、読んでたのは。
 萊亭では若いお兄ちゃんたちが一人か二人で次々に入ってくる。そこに女の子の方が人数が微妙に少ないグループ、ってわかりにくい言い方だが例えば男三人と女二人の五人組、そういう構成のグループが来たり、小さな子供のいる家族連れが来ることもある。厨房を囲むカウンター席と壁に沿って小さな二人席がいくつか、二階もあるらしい。
 1980年代に椎名誠の軽妙でお手軽で面白いエッセイをよく読んでいた。最初は会社の先輩が「さらば国分寺書店のオババ」と言う本かな、それを回覧してきたのだった。椎名誠のエッセイの中に、(若い男の)かつ丼の正しい食べ方はこれなのだ、として「一度左手で持ち上げた以上は一度もテーブルに下すことなく最後まで「わしわしと」掻き込む」のだ、なんてのを読んで、会社帰りに川崎市溝の口駅裏の古いアーケードにあった南圃苑って言ったかな、たしか床が土(土間)だった店でそれをふざけて実践して遊んだ。
 こういう中華料理店ではメニューを一瞥してさっと注文を決めてしまおう。椎名誠が主張したかつ丼と同じでなくてもいいけれど、料理が出てきたらわしわしと素早く食べよう。食べ終わったら、さっさと去ろう。と言うようなおおげさに言えば70年代に学生だった世代が大衆中華や定食屋で「とるべき行動パターン」が身に染みている。なので某君がゆっくり食べるから、おいおい、と思うのだ。
 下北沢で古書店二軒、新刊書店一軒を一応の中継地点にして適当に歩く。
 
 操上和美トークショー。操上さんとても80歳には見えない。ストリートスナップの身体反応の結果とそれを選択する作業の結果、いい写真が撮れなくなっていたら写真をやめる、とおっしゃっている。写真は、いいかわるいかであって、うまいへたではないともおっしゃる。選択のときもパワーがいるから体力が落ちているときは選択作業はやらないそうだ。
 そんな話を聞いたので、今日、自宅に帰ってから下北沢などで撮った写真を見て、私は写真をやめるべきなのか?ぜんぜんダメじゃないか、と反省するのだった。

 なお、トークショーのあとには神保町に行きました。