野球の練習


 車窓写真を一回数百枚×月に数度×十年以上も撮っているが、ちょっと気に入る写真が写っている確率は極めて低いのです。この写真は、まあ気に入りました。通過する瞬間に人と色がこんな具合に偶然散らばっていたっていう、その偶然を、まるで当たりくじを期待するように待っているということなのか。でもそんな風に写真的に「いい」と思える配置を期待しているという選択基準がこの行為とはそぐわないのではないか?こんな写真を選んではいけないのではないか?とかも考える。
 なんてことを考えながら写真を撮っていること自体が、まあ、変な人ですよね。