ちょっとした疑問の楽しさ


 このブログにこういう古い写真を載せるときのきっかけのほとんどは部屋の片づけにある。今朝も、部屋の中に山積みになってしまった段ボールや、本やCDのタワーを目の前にして途方に暮れる。一つくらいはなんとかしようと、いちばん「表に出ている」段ボールを開けて、出てきた古い写真の束を手にする。写真を眺めだすと、整理は後回しになる。たとえばこの写真。父が昭和40年前後に伊豆の石廊崎に、社員旅行に行ったときに撮られたものだろう。船に「石廊崎ふじ」と書かれている。わからないことがいくつかある。すでに船に乗り込んだ女性客の一人が、こちらに手を振っている。すなわち父とここに写っている人たちは、その一部か全員かはわからないが仲間であろう。それでは、父がこの写真を撮っているのは一体どこなのか?客数が多くて、それに対応するため、もう一隻の観光船が準備されていて、その船から撮っているのだろうか?あるいは、二回に分かれていて、父は第二回目に回っているため第一回目の客をこうして撮っているのか?それとも、同じ団体でも、船に乗りたい人と乗りたくない人に分かれ、父は乗りたくない方を選んで、手前にある別の桟橋なり岩場に残ったのだろうか?
 桟橋からふじ号に乗っている客はたぶん下船ではなく乗船したところと言う感じがする。わからないのは、桟橋の先端からほとんど水際まで降りている女性は誰なのか?と言う点である。よく見ると、その女性、この程度の解像度でもなかなか美人さんに思える女性の向こうに、もう一人女性がいる。想像するにこの二人の女性は客ではないのではないか?船が出船する際に係留しているロープをはずす役目をこなすためにこの位置に待っているのではないか。しかし、それだけの仕事をしているのに二名はいらない気もする。すると、この女性二人(のうち少なくとも一人)は、船に乗り込んでガイド役もこなすのかもしれない。よく見ると、船の前方にもロープを持っている帽子をかぶった男がいるのがわかる。
 これから乗り込んでくる客は、最初に女性客、ついで切符売り場あたりの男性客の順になると思われる。なんとなくレディーファーストな感じである。客も含めて、若干ラフな服装をしているのはロープを持った帽子の男だけで、ほかに写っている人はみな、今で言うフォーマルな服装だ。このころの写真を見ると、旅行客たちは、あるいは休日に外に出かけるときには、みなフォーマルな感じだ。普段着は暮らしの日常にいるときだけに着るもので、休日の外出や旅行はフォーマルな服を着るハレの日だったのだろう。
 もっとよく見ると、桟橋を降りている手前の女性の服は、縦縞の柄だ。ジャケットの袖は七分袖。いかにも制服って感じがする。

 一枚の写真をこんな風に見入っていては、当然、片付けは進まないのだった。

 読書中は「スタッキング可能」

スタッキング可能 (河出文庫)

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