恒例の中目黒


東急東横線中目黒駅の高架下を駅ホームに直角に交差するように片側二車線の大通りがあり、この通りと数十メートル離れて平行に目黒川が流れている。コンクリートで囲まれ、フェンスで仕切られた都会の中の小さな川だ。両側に川に沿った道があり、道とフェンスの間に桜が植えられ並木になっている。道に沿って、桜と川の反対側にはちょいとお洒落な店やマンションが並んでいる。桜が咲くと、川の両側の道は、桜を見上げながらそぞろ歩く人で一杯になる。道沿いの料理屋の中にはテイクアウトの特別メニューを売るところも多い。平日の夕方は、勤め帰りに会社の仲間同士でやって来るグループも多いだろう。もちろん女友達のグループや恋人たちもいる。ほとんどの人はスマートフォンで写真を撮っている。なかには大きな一眼レフカメラを持っている人もいる。みんな被写体としての桜を見て、液晶モニターの桜でどう撮るか決め、写った写真を同じ液晶モニターで確認している。そこにある桜を注視したり、そこにある桜を愛でたりしない。一瞥をしているだけ。あとは写った写真の桜を愛でているみたいだ。桜はきっかけだ。会社仲間や友達や家族や恋人と、一緒にいること、話したり食べたり飲んだりふざけたりを、一緒に楽しむこと。そのためにやって来る。江戸時代や明治の頃に江戸(東京)名所図やなどに描かれた花見の場面でも、きっと同じで、誰かと一緒に楽しむことが大事だったのだろう。でもスマホやカメラがない、その分だけ、ちゃんと桜の花を愛でていたのかな。あるいは暖房装置も冷房装置もなく、日々、無意識にそこにある快適な環境がなかった分、季節の移ろいの様々に敏感であったのかな。
私は会社帰りに一人で来ている。書類バッグに入れてきたカメラを中目黒駅の改札を出たところで取り出して首にぶら下げた。
ガラスが広い面積で外観に使われたビルが増えると、特に冬の、日が傾いているときにはビルに反射した光がやわらかく回り込んで、ストロボで言えばバウンスの光のようになり、淡く優しい日溜まりを作る。
一人で来て、桜そのものよりも桜見物の人々をストリートスナップで撮っている私は、この淡い日溜まりに浴しているようだ。誰かと一緒に楽しんでいる人たちのその楽しさが、無名的にごちゃ混ぜになって空間を満たし、どこかに反射して私もそこに浴している。その程度が心地好い。