私は風とか遠くに行きたいとか


 4日金曜日、夜遅く茅ヶ崎駅から自宅までタクシーで帰った。最近のタクシーはプリウスが増えてきて、なかにはワンボックス・カーのようなものも登場し、個人タクシーにはときにはレクサスなどの高級車も混じる。車種が増えている。このときには今まで最も一般的だったクラウンなのかセドリックなのか、その横から見た形が自動車のアイコンになっているようなセダンで、ほっとした。最新機種は乗り降りがちょっと面倒臭い気がする。乗ったあとの座り心地を優先しているからなのかもしれないが。運転手は無口な方で、なにも話しかけてこない。私より年配だと思われる男性。トランペットが朗々と吹き上げるようなムードミュージックが流れている。ラジオではないようだ。最近のタクシー運転手は私より年配の方が多いと思われる。
 ムードミュージックは途中から曲が終わり、最初にかかっていたその曲がなんだったのか覚えていないのだが「悲しくてやりきれない」とか「白いブランコ」とか、そういうので、次が「遠くへ行きたい」だった。
 三時間前には在来線で茅ヶ崎まで三時間もかかる北の方の駅の前の、店の前のテラス席で十人ぐらいの飲み会に参加していて、焼きそばやキムチや枝豆や焼き餃子や豆腐サラダや、そんな安価な料理がどんどん届くところでほかの九人がビールを次々とおかわりしていくなか、ノンアルビール零イチを二本飲んで、ほかの九人と私のあいだのテンションの差がだんだ拡大していく。この差がとある閾値を越えると「内心、実は、白けてしまう」危険があるが、隣に座っていた某君は私ほどではないがあまり飲めないらしく、途中からウーロン茶に切り替えていて、やはりテンションの差が拡大していて、すると私と某君だけがテンションが平常で差が少ないから、結局、本線から逸脱したローカル線に乗っている二人だけの客のようになったが不満もないまま写真の話やここにいない誰かの噂話をしていた。
 そんなことをタクシーのなかで思い出していたのだが、駅から家路を急ぐ人の流れはまだ茅ヶ崎エメロード商店街を抜けようとしているときには同じ電車から吐き出された帰宅客が途切れず一方向に三々五々続き、タクシーの車内は冷房が効きすぎでガラス窓一枚向こうは猛暑で街の「雑踏」を構成するさまざまな雑音も聞こえているはずなのに、こちらは「遠くへ行きたい」が流れていて、いつになく映画を観ているようだった。そういう中でそういう三時間前のことを思い出していると、そのビアガーデンのようなテラス席に座っている私と某君の様子が、背中側少し後ろの空中三メートルくらいに浮いている第三の視点から見下ろしているような映像で浮かんでくる。これってたしか作家の保坂さんもなにかのエッセイで同じようなことを書いているが、例えばさっきまで誰かと一緒に一体的にコンサートや試合を聴いたり見たりしていて、その興奮が冷めやらず、と言う書き方をするということは既にその興奮が終わった「祭りのあと」の状態から、そのときのことを肯定的に思い出すときにすでにひどく鑑賞的な気分が不覚にもまとわりついていて、そういうときに現れる視点なのかもしれない。夏が終わって秋になって、ちょっと前の、ときには数日まえの、その秋から思い出すと「最後」だったとわかる「最後の夏の」出来事を思い出すようなときに。三時間という時間の流れと、車窓の金曜の夜の風景と、遠くに行きたいのメロディーやトランペットの音やそのスローなバラッドにしたべたべた甘いテンポ、そんなこといちいち挙げていると一体何十何百になることやら、全部挙げていくと私というものを構成している過去の記憶やらに根差した価値観の全部がそこに至らせているわけだろう、即ち「わたし」の全部が作用して、私がそういう気分になっているわけだ。
 そうしてものの五分で自宅に戻り、自室の窓を全開にしたときに耳にコオロギの声(実際には羽根をこすり合わせている音)が聞こえてきた。窓の下の躑躅の植え込みあたりで生まれたコオロギだろう。もう夏至からひと月半も経っているから明るい時間はどんどん暗い時間に食われている。こうしてコオロギが現れて、あまりまだ気づいていないなかで秋の攻勢が準備を始めている。
 十月に藤沢のパンセでカルメン・マキのコンサートがある(もう売り切れたようです)。たまたまパンセのKさんに出来立てのチラシを、先週だったかな、見せてもらったから、その場で申し込んだ。でも70年代80年代にカルメン・マキ&オズを熱心に聴いていたわけではない。むしろほとんど聴いていない。オズの前の歌謡曲の美人歌手だったマキさんが、例のヒット曲を歌うテレビの画面を私の父が見て、なにかたぶんどちらかと言えば否定的なことを、それは歌手に対してだったのか寺山さんの歌詞に対してだったのか、たしか昭和ヒトケタ生まれの父の道徳観からすると気に入らないなにかがあったのだろう、なにか否定的だったと思われる感想をしゃべっていたことの方を、その感想の中身はなにも覚えていないが、その「感じ」を覚えているだけだ。
 そこでアマゾンでカルメン・マキ&オズのベストアルバムと、最近のジャズ風トリオなのかな?をバックにしたアルバム、計二枚を購入しておいたのが、コオロギの声がする部屋に届いて(家人が受け取り、私の部屋に置いてくれた)いた。その夜にはまだそのCDを聴いてみることはしない。シャワーを浴びて即刻眠りたいので。しかし最近YOUTUBEで聴いてみたオズの「私は風」のメロディが断片的に浮かんできて、それまで流れていた「遠くへ行きたい」を消し去った。

 土曜日は昼は新宿で久々にニセアカシア編集会議に出席する。夜、平塚市の湘南BMWスタジアムで湘南対松本戦を観戦する。試合のあと一人でシャトルバス乗り場へと歩いていると、またもや「祭りのあと」の感じがやってくるが、それは上記の状況ほど複雑ではなくて、さっきまでスタジアムの熱狂にいて、ひいきチームが勝利して満足を得て、そこから外に出るとそこは夜で私は一人で、だけど回りにいる大勢の他人もその心のなかのある部分には勝利を嬉しく思う共感があるわけで、その確信からくる心地よさなんかの結果からして当然の「肯定的寂しさ」のような感じなのだ。
 それでふと思い出したのは、高校生のことに読んだ、現代国語の教科書に出てくる誰か有名な詩人の詩集のなかに音楽会の帰りの人波のなかでこんな気分を詩にした作品があったのではないだろうか、ということだが、これだけの情報からそれを調べるのは難しそうだ。朔太郎かしら?と思ってみたりするものの。
 この湘南地区は真夏の昼にはずっと海からの風が吹いている。昼前から夕凪になるまで。そんなことも上記の私に至る「わたし」の要素になる外乱要因のひとつなのだろうな。そういうことが育った場所がどこかってことからの括りで、どこぞ生まれの人は頑固だとかなんとかいう価値基準になるのもうなづけるなと思った。そう思ったのはいまこれを書いていることのときだから深く考えてないので、間違っているかもしれません。

ベスト・オブ・カルメン・マキ&OZ

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ペルソナ

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