下鴨神社 古本祭り


 午後、昨日もちょっと立ち寄った古本祭りにまたぞろ立ち寄る。

 でも今日の主目的は特別公開中の京都大学花山天文台を見学すること。朝の9時に東山あたりで服を造るAさんと、写真仲間のHさんと合流。交差点近くのパンと喫茶の店でモーニングを食べたあとに、地下鉄一番出口から天文台のあいだの臨時シャトルバスに乗って行く。蹴上の先から脇の道に逸れ、くねくねした山道を上ること数分で天文台に到着する。ときどき観察会などはあるようだが、建物の特別公開ははじめてとのこと。ドームの回る仕組みや開く仕組みに古びたモーターや滑車や歯車の連動機構が見て取れる。丸い屋根の内側は小さな板材を合わせて出来ているように見える。解説の方も木のようだと言っていた。外側は板材数枚に一つの金属板が貼られて、隙間をなんらか埋めたのかな?まぁ建築の知識はないからよくはわからないけれど、そういうところに興味がどどどっと沸いていく。ドームの天文台のほかに「歴史館」の木造平屋の建物のたたずまいも素晴らしかった。時刻校正のために子午線を星が通過する瞬間を測っていたころのものだそうだ。
 なんで古い天文台に惹かれるのか?すごい乱暴な括りだけど、宮沢賢治萩原朔太郎稲垣足穂や、大正のころの文学者の残した詩や小説には、西洋趣味(というか憧れ?外来語をいち早く使ってた感じ・・・)と、科学、とくに天文学などへの興味をよく感じる。科学は今も最先端で不明なことを明らかにする課題に、今まで以上に直面しているのだろうが、比較的には昔ほど、その課題が一般人と共有できていた、課題が判りやすかった時代ではなくなったのだろう。博物学全盛の大航海時代などは、一般人も総動員で新たな発見の「豊作」にウキウキしていたのではないか。なんかそういう時代があったことを漠然とだけど知っていて、もう不思議ではないのだが、知らんぷりして不思議を時間を越えて共有するような感じ。結局は理科におけるノスタルジーを見たいってことなのかもしれないな。
 そういう感じって小川洋子吉田篤弘の小説を読むような・・・すごい乱暴ですよ、だから・・・

 今日は古本祭りではなにも買わずにいたけれど、そのあと京都市役所近くの1000000tアローントコに立ち寄って、また二冊、古本を購入してしまう。「故郷のわが家/村田喜代子」「いちばんここに似合う人/ミランダ・ジュライ

 夜8:53分京都発の小田原停車のひかり号指定席を予約していたが、午後にはAさんともHさんとも別れて一人行動。結局ふらふらと歩き回って、休もうと目論んだ珈琲の店は、お盆の休業や閉店で休むところに落ち着けない。そんなんならさっき通り過ぎたあそこに寄ればよかった、等々の後悔。
 小田原停車の一つ前のひかり(午後に2時間だか3時間に一本ペースでやってくる)に指定席券を振り替えようとスマホの予約サイトで試みるが、すでに満席。そこで京都シネマで午後6時〜8時10分で日本映画PARKSという井の頭公園開園100周年記念映画を観ることにした。
 映画のなかで若い女永野芽郁演じる不思議な役柄の少女は公園の精霊のような役回りなのかな?映画の中に1960年代に作られるフォークソング(風の曲)が出てくるが、そのメロディもいかにもPPMの時代を思わせていてよく出来ていた。
 橋本愛ってダルビッシュに似てるな、などと勝手な感想を持ったが、私が性差を越えて、男の誰かと女の誰かが似ていると感想を述べても、ほぼ百パーセント同意が得られないから、そこから類推すると似てないんだろうな。