違う季節が恋しいこと


 九州に日帰り出張。午前の飛行機は本州の海沿いを飛んでいく。逆光となった太平洋や瀬戸内海が見える。船の航跡や雲の影、島影は影絵のようにくっきりと。ずっと写真を撮っていく。下の写真の右下あたりに写っている湖は箱根の芦ノ湖。上の写真は瀬戸内海の島影。明日は冬至
 今朝も寒かった。早朝のバス停で膝ががくがくしていた。冬至のころには夏至のころを思って、夏至のころには冬至のころを思って、それぞれ地球が公転の軌道の180度向こう側にあったとき/行ったときの季節に憧れる感じを持つ。私だけかな、ないものねだりで違う季節が恋しくなるのは。誰かの小説だかショートショート的な寓話だったかしら、ある日家に帰ると秋が座っていて、もう夏が消えていて、あわてて家を飛び出して夏を探したが見つからない、仕方なく家に帰ると、もう秋はすっかりくつろいで「もういないんだから、あとは俺とうまくやってこう」というようなのがあったっけ。
 あるいは「夏は単なる季節ではない、心の状態だ」と帯に書かれていたのは1970年代後半の片岡義男の小説(たぶん「彼のオートバイ、彼女の島」)だったっけ。
 寒い冬だから、だからこそ今日は、ずっと夏のことを考えていた。