恵比寿


 恵比寿の写真集専門店「Nadiff a/p/a/r/t」の地下ギャラリーで森山大道写真展景(K)を見てきた。
www.nadiff.com/?p=8436
その前後に恵比寿駅の周りをぐるぐると歩いては写真を撮った。寒い冬の休日。
 子供のころに見たアメリカ産のテレビアニメとかで誰か(猫とネズミの物語(それってトムとジェリーだっけ?)であれば猫の方)が何かをやってしまうか我慢するかで心のなかにいい自分と悪い自分が葛藤していて戦うような場面があった・・・のかな?記憶もあいまいだから「トムとジェリー」というのは大いに怪しいが。それでたいていは悪い自分が勝ってしまって、実際に悪戯をやってしまうのだが、その後にこっぴどく叱られて深く反省するような物語の仕立て、かしら。もうきわめていい加減なことを言っているだけかもしれません。
 いい自分と悪い自分というのは明確な定義があるものだろうか?幼児向けアニメのようにわかりやすい物語ばかりで世の中が出来ているわけではない。
 写真展「景」の会場に掲げられていた森山大道の文章は、なにかのエッセイからの引用だったと思いますが、三匹の・・・はてさて、なんだっけ?・・・読んだばかりなのに忘れてしまったが、ネズミと犬と猫・・・違うだろうな・・・なにかの三匹が心のなかであそこを撮れここを撮れあっちを撮れと命じてきて、その指示のままに写真を撮っているような「気分」の解説が書いてあった。撮っているときはあれこれ考えない、目はレーダーのように先を先を見ていて、そして現れるものを撮っていく、そんなことを森山大道は数年か十年か前のNHKの番組のなかで言っていた。すなわち意識的ではないというかあまり考えて撮っていないということなのかな。それで自分の意識ではない無意識のようなところで行われている撮る撮らないの選択を、自分ではない三匹に置き換えて考えるとその「気分」「感覚」が判りやすいからあの文章になったのだろうか。
上記の本写真展の案内ページにちょっとだけこの三匹のエッセイからの抜粋がありました。
「犬は盛り場へ行けというし、猫は路地裏へ入れというし、虫は風俗街はどうよという。俗世俗界を俗のままにコピーしつづけること、東京中をうろつく日々こそ、ぼくが生き写真を撮る意味の全てなのだと感じる他ない」(写真集『K』より、森山大道「今日の三匹」抜粋)だそうです。
 
「Nadiff a/p/a/r/t」の一階にはまだ私が参加しているニセアカシア発行所の書籍販売コーナーが設置されておりまして、そこには私、岬たく の最新写真集「ツェルニー」も置かれています。ほかにもニセアカシア各号もあります。恵比寿のナディフに行った折には是非ニセアカシアコーナーもご覧くださいね。