記憶の夏のような


 子供の頃、捕虫網を持って、汗をたくさん流しながら、セミやトンボやバッタを探して歩いたり走ったりしていたころ、見ていた光景はこんな風な緑がいっぱいだった。目の前の光景であっても、むかしの光景を見ているみたいだな。なんて思うってことが年を取って今ではなくむかしに生きてしまっているってことなのか?
 久々に映画を借りてきてみました。「私はダニエル・ブレイク」と「希望のかなた」を見て、あと3本借りてある。世の中、庶民の力で「当たり前」がぎりぎり維持されているってことですかね。いろんなシステムは頭でっかちになって机上(PC上)だけで作らずに、現場を見て作らないと。それはむかしっから同じで、ますますそう出来にくくなっている。その上、境界線が曖昧で、そうなると、匿名性の高い人が叫んだ一番窮屈な正義だけがまかり通って行くのではないか。
 三十年くらいまえに会社にいた奴が、世知辛い世の中です、と言いつつ、自転車で世界をめぐるために会社を辞めていったことなんかを急に思い出しまして。