由比ガ浜


 先日のこと、昼の長さや夜の長さを一年を横軸にグラフにすると、概ねサイン波になるだろうから、夏至のころや冬至の頃は一日一日の変化率が小さいが、春分秋分にはその変化率が最大となっていて、さらに昼が短く夜が長くなるってことは、人類にとっては危険度が増す方向の遺伝子的な恐怖があるだろうから、それがいまでも「秋の日はつるべ落とし」とか、誰かがブラッドベリの短編集を「十月は黄昏の国」と訳したりという感性になっているんだろう、すなわち秋とは悲しいものなのだ、などと蘊蓄+持論の勝手なる展開で、ある方に話してしまった。合ってるのかな?この持論。聞いてくれてありがとう。
 でも、この十月は十一月になっても、実は例年ほどは寒くなってないのかしら?なんだか過ごしやすい秋が、ずーっと続いている感じがします。
 カメラを持って鎌倉を歩く。十月の下旬と同じように、丸七商店街、農協レンバイ、由比ガ浜由比ガ浜商店街、そしてカフェロンディーノで珈琲。電車の時間を見て、少し余裕があればタラバ書房。今日は古本屋へは立ち寄らず、その代わり、土屋鞄の鎌倉店に入る。ビジネス用の端正なバッグに惹かれるもののこれ以上バッグを増やしてどうする、と自制。
 カフェロンディーノ満席になったり、かと思うとずいぶん空いてみたり、ほんの小一時間のあいだに客の出入りが激しい。カウンターの端っこに座った女性客、一人煙草を吸いながら物思いに耽る風。エドワードホッパーの絵みたいだな。夜のバールの止まり木の、女性客の絵。
 赤いセーターを着た老夫婦、カウンターに並んで座る。どこかの店でここを教えてもらって来たと言っている。観光客らしい。この店は古いのですか?とか、このケーキは美味しいですね、とか盛んに店員に話しかけるが、概ね店員は素っ気ない対応。この素っ気なさもこの出入りの激しい店らしい。それこそ素っ気なさが特徴でもある。
 次に来た女性二人客は、「今日はプリンは売り切れです」という店員の言葉を聞いて「あらー、それを食べたくて来たのに」と言う。が、席を立たずに珈琲と自家製の梨のケーキだかを頼んでいる。
 私はちょっと小腹が減ったのでスパゲッティを頼むが、思ったよりずっと大盛でびっくり。何度かここでこれを食べているが、こんなに多かったか・・・シンプルなナポリタン風で、具にはマッシュルームしかない。いや、もしかして玉ねぎくらいあったかしら。タバスコをたっぷりかけて口のなかがややひりひりするくらいが好き。珈琲をお替りする。読書中の中島京子著「東京観光」はすいすいと進み、もう読み終わりそうだ。

たとえはひとつの話はこんな感じ。

主人公の若い女性「私」の幼稚園の頃からの腐れ縁の友人は、なぜかいつも恋人が出来てもすぐに振られてしまう。今回も振られたばかりで、本当は恋人と一緒に行くはずの北陸旅行に「私」を誘ってきて、仕方ないから、と二人で自動車旅行に出かけることになる。「私」は「振られ性」の友達の性格的欠点に辟易する一方で、でもそんなに振られ続けるほどひどい子じゃない、いいとこもある、と思っている。そして実は「私」の情緒不安定なところを友人は心配してくれていたりもする。とかね。

とかく人の世は、不安や哀しい出来事も多いけど、それでも概ね捨てたもんじゃない。

 タラバ書房にはニセアカシア仲間の松本さんも編集やデザインや印刷に深くかかわっているらしい「未明02号」のポスターが貼ってあるが、このまえ聞いたら品切れだった。今日も、そのポスターは貼ってある。ポスターの写真、後ろ姿の親子が向こうの山に向かって立っているような古い写真はどういう曰くの写真なのかな。
 そう言えば松本さんが、未明02号はアマゾンでも扱ってもらうことにしたとおっしゃっていたのを思い出し、帰りの電車で検索してみたら見つかった。なかなか買えなかったが結局アマゾンで購入しました。届くの楽しみ。谷川俊太郎とか山本昌男とか蜂飼耳とかの名前に並んで松本さんの名前が載っているってなんか応援しますよ!って感じになりますね。 


未明02 (ポエジィとアートを連絡する叢書)

未明02 (ポエジィとアートを連絡する叢書)