野毛あたりをふらふらと


 夜とともに目を覚ます、横浜は野毛の都橋飲食街ビル(というのが正式名称かどうかは知りませんが)。昼間は時間が停まっているかのようにぼんやりとした時間が静かに流れてます。
 とある街を歩いているときに、そういえば最近は古書店が減ったなぁと思う。散歩の途中に古書店が現れれば、それが散歩の途中の「止まり木」と言うのか「オアシス」と言うのか、そういう役目を果たしていたのだなぁ、などと。と、思っていたら、それを見透かしていたかのようにいきなり古書店があった。店の外の均一棚に、雑誌スタジオボイスの1994年3月号、特集はグラフィック・デザインの新潮流。1994年かぁ、私は37歳だった。37歳のその年がどんな年だったのか?夏は暑かったのか?冬は寒い冬だったのか?
 と、ここまで書いて、Wikipediaで1994年の日本と言うのを読んでみました。松本サリン事件、ビートたけしが交通事故、前年から一転した猛暑、なんとなくしか覚えていない。
 読んでいて一番、思い出に結びついていたのが、天皇杯ベルマーレ平塚優勝だった。優勝したのはこの1994年の1月1日?だったろうから、そうか前年の1993年のには、準決勝のベルマーレ対ガンバ(記憶が正しければ、だが)を観に行ったなぁ。磯貝からボールを奪ったのは岩本だっけ、それでアウミールだったか野口だったかにボールが渡って点を取った、その場面を逆光のなかで見ていたのを覚えている。
 デザイナーの方とか、あるいは流行の変化に敏感な方たちは、当たり前にこの1994年のスタジオボイスの雑誌の作り全体に時代の懐かしさを感じるのだろう。でも私には判らないです。この本が2000年と言われればそうだと思うだろうし、2010年と言われても、そうなのか、と思うだろう。
 ユーミンが「Hello My Friend」や「春よ、来い」を、ミスチルが「イノセント・ワールド」を、広瀬香美が「ロマンスの神様」を歌った年だそう。これらの曲はまぁなんとなく判るが、それほどヒット曲を聴いたり興味を持ったりはしていなかった頃ですね。今もそうか・・・
 この年に、ハイティーンや二十歳や二十一歳や、そう言う年齢だった方たちは、こういう曲をもっと多感に聴いていたのでしょう。