Something

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  昨年の2月11日は穏やかな快晴で、私は堀文子展を観るために神奈川県立美術館葉山館に行き、森戸海岸のあたりを散策していた。パソコン内のメモリーや、外付けHDDに、デジカメを使いはじめた2003年か2004年頃からずっと今日まで、デジカメで撮った写真は取捨選択せずに保存してある。HDDをつなぐのはひと手間必要だからなかなかそこまで見ないけれど、一年前の2月に撮った写真はパソコンに入っていたので見てみた。一年前の今日はどんなん?という興味。それで、そうだったのか、と判った。

 今日は夕方からは少しだけ晴れたけれど、陰鬱に曇った寒い日だったから、昼過ぎに近くの三崎港直送を売りにしている鮪の店で、赤身と中トロと大トロの盛り合わせを買ってきて、丼に盛ったご飯、たまたま一時間か二時間前に保温スイッチを切ってあった炊飯器のなかに残っていた最後の、少しだけ温もりのあるほぼ一人分のご飯の上に、買って来た刺身を載せた「まぐろづくし丼」に仕立てた。熱いご飯よりこちらの方が良いですね。ワサビを溶いた醤油をかけまわして食べた。

 えーっと、話がすっかり脱線してしまったが、すなわち、その鮪の店に行き、その帰り道にある和菓子の店で、ふと思いついて「いちご大福」を買って帰った、それだけが本日の外出だった。家にいて、パソコンで、ふと思いついて昨年の今日の写真を見たのだった。

 ということとは全く関係ないが、朝起きて、いつのまにか頭の中にビートルズのサムシングのメロディが流れていた。なぜだろう?なにかきっかけになること、例えば、テレビやラジオでサムシングが流れていた、などのダイレクトな理由が思い出せない。あるいは、昨晩眠る前にサムシングが最後に聴いた曲で、それが頭に残ったまま「一時停止」されていて、起きたときに一時停止ボタンから再生ボタンに変わったのか?いや、そんなこともなさそうだ。歌詞の意味など知らないから、この曲のメロディが持っている「雰囲気」のようなことが、いまの私の気分に合致したのか?気分と、頭の中に記憶されているメロディーが、高速の相関サーチされて選ばれたのかしら。私の頭の中のことだけど、なにがどう動いているのか判らないですね。

 このページの写真は相変わらずトリミング接写⇒画像補正した写真で、昨日がアップルパイで今日がホットドッグという二日続きで「食べたものを食べる前にまず撮った写真」なのは、たまたまでございます。日本地図はどこかの街の飲み屋にあったもの。

 ところでSomethingの歌詞ってなにを歌っているのか?調べたこともなかったが、ただ、ジョージが恋人のことを歌ったラブソングだということだけは、なんとなく知っていた。

 日本語訳を調べると、ひとそれぞれの訳が載っている。

Somethig in the way she moves

Attracts me like no other lover

が冒頭の歌詞で、このsomethingを、何かしら、とか、なにか、とか、日本語をあてている。本になっている片岡義男はどう訳しているのかな?持ってないからわからない。タイトルとなっている単語だからなにか訳を充てたくなるんだろう。それを無視してしまうと、すなわち、

『うまく言えないけど彼女(の所作ふるまい)だけが、私を虜にするんだ』

ってことだろう。そして中略で、一番の最後は、

『放さないよ、離れられないよ』

と歌われている。古今東西、恋の気持ちは不変ですね。

 あ、この気分に基づく私の訳ですが、「私」より「僕」の方がいいか・・・

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