雨の横浜

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 昨日が春本番を思わせる暖かく光に満ちた日だったのに、一転して今日は朝から冷たい雨が降り続く日になった。こうして季節が進む。みなとみらいから桜木町桜木町から野毛、野毛から伊勢佐木町伊勢佐木町から横浜橋。折りたたみ傘をさしたまま、黒い布のスニーカーにじんわりと雨が滲みてくる中、写真を撮りながら歩く。すっかり冷えた身体。上島珈琲に入り、珈琲ではなくホットココアを飲んだ。甘すぎるココア。

 四十年前、名古屋市の地下鉄星ヶ丘駅近くに出来た、新しい喫茶店、ウッディーな感じの(あるいは山小屋風の)喫茶店で窓際に並べられた本の列の中からブラッドベリの「火星年代記」を選んで読んだ。冬で窓から長く細い日の光がさしていた。そのとき私はホットココアを飲んだのではなかったか。こんな古い記憶、もしかしたらすべて創作かもしれない。それでも、ココアを飲むとブラッドベリにつながっていくような「回路」が出来てしまっている。今日の上島珈琲には読書する一人の客が何人かいた。窓辺に座った眼鏡をかけた、もう八十代かもしれないお婆ちゃんが読んでいた本はなにかな?ブラッドベリかもしれない、と思う。

 先週、鎌倉の喫茶ミンカで、店の本棚に置いてあったケルテスの読書する人をスナップした写真集をめくった。街のなかで、本を読むときにも、どこか絵になる(フォトジェニックな光景を作り出す)人がいるものだ。

 関内駅から横浜乗り換えで茅ヶ崎に帰る。シートの暖房が熱い。すっかり眠くなり、読書はまったく進まず、文庫本が手から滑り落ちそうになる。隣に座っている人の肩に若干寄り掛かり気味になってしまっただろうか?肩をクイとやって、寄り掛かるんじゃない!警報を受けた気がする。

 CP+会場の各社ブースでたくさんの写真作品を見た。

 GOTO AKIの撮った浅間山夜景の写真が印象に残る。田淵行男浅間山の雲と山の斜面をとらえた写真と、なぜか、アンセル・アダムスの墓地のある小さな町で遠くの山並みから月が上がった夜の写真を思い出す。GOTOさんは、目の前の自然がどうして現在こうして目の前にあるか、ここに至る時間を考えるのだと、とある機会にお話をお聞きしたときにおっしゃっていた。この写真を見ると、過去の写真家から脈々と受け継がれた風景写真の在り方のようなことへのリスペクトも感じる。

 もうひとつは中藤さんのラフモノクロの写真が印象に強い。雨の路地。向こうから歩いて来る背中を丸めた男の影。手法的には森山大道の後に続くフォロワーの筆頭だとは思うが、しかし本家とは異なる中藤さん「らしさ」として、ブルージィな「感じ」が強く、どこかしゃれているようだ。

 下の写真は、野毛から伊勢佐木町に歩いて行く途中にある飲食店の?水槽で泳いでいた縦縞の魚の写真。実は、昨年も同じ季節に同じ道を歩いていて、この水槽で泳ぐ縦縞のある魚の写真を撮った。その写真は、このブログにも使ったと思う。まさか、昨年撮った写真と同じ個体ではないよな?と思う。これから料理する魚をここに入れておくのだろうから、こいつも近々には食べられてしまうに違いない。とは思うが、もしかしたら、同じ魚で、このあたりの怪しげな雰囲気の町の中で暮らしている皆に恐れられている大男(恐れられていなくても、大きくなくてもいいのだが・・・)が、誰にも見せない孤独をいやすために大事に育てているなんて物語があるかもしれない。と、ふと思う。

 伊勢佐木町古書店で海外で出版された森山大道の展示会のカタログ的な写真集があったのでめくってみた。黒いコートの男の後ろ姿と道に落ちた黒い影の写真が印象に残る。森山さんの写真からは、例えばこんな秘密めいたエピソードが感じられるときがある。なぜか秘密結社なんて単語が浮かぶ。

 

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