大磯

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 車を運転して大磯の港に行ってみる。漁港で釣りをしている人たちは、時間をのんびりと、心のゆとりをもって、豊かに過ごしているように思えてうらやましい。釣果を期待している子供や、子供を連れた親たちもいるのだろうから彼らには残念だろう。海を見に来た老漁師が仲間と、今日は濁っていて釣れねえべ、と言っているのがちらと聞こえた通り魚が釣れているところを見かけなかった。しかし、釣りをしている半分以上、あるいは「ほとんど」の大人は釣果はどうでもいいと思っているように見える。ここでぼんやりとしてラジオやアイフォンに入れた音楽を聴いて、空や海や動かない釣り糸を眺めてなにやらつらつら考えている。そういうわけではないのだろうが、なんだか皆さん「禅」の教えのようなことを考えて、考えることからも脱却して、漠として空なのではないか?すごい。仙人。と見えてうらやましくなる。

 カメラを持って、いろいろとISOだTVだAVだ、露出は±どこにしよう?などとあれこれ悩んで、目をきょろきょろさせてあそこを撮ろうとかここを撮ろうとか右往左往しているのはアホではないか。

 島崎藤村が逝去した最後の住まいが大磯にあり、旧宅として公開されている。苔の中に小さな花。庭を掃除している方に聞くとヒメシャガと言う答えだった。シャガと言えばもっと白い花だと思っていたが、この小さな花は紫を帯びている。小さくてかわいらしい花だった。島崎藤村は「涼しい風だね」と言って、それが最後の言葉で亡くなったそうです。

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