黙々とした散歩

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1970年代後半、勝野洋が主演していた「俺たちの朝」の主題歌が流れる冒頭シーンでは鎌倉のあちらこちらで撮られた映像が使われているが、そのなかに、七里ガ浜の駐車場を歩く主人公とその仲間をとらえた場面があった。それ以前もその後も、この駐車場で撮られた映像は枚挙に暇がないんだろう。そこに行きたくて出かけたというわけでもなく、ただ秋の午後がすぐに暮れていくことに、焦燥感のような気持ちが募り、午後2時過ぎから散歩に出た結果、なんとなく七里ガ浜の駐車場に来てしまった。午前には実家の庭に長年置かれていた物置を近々に廃棄するために、その中に仕舞われているものを見極めに行く。ほとんど廃棄することになる。夜には知人からライブの誘いを受けていたが、すいません、それに行って音楽を楽しみたい、という気持ちにならない。焦燥感を抱えたまま、ただひたすら歩いてきた感じです。七里ガ浜駅で江ノ電を降りて、そこから鎌倉駅までひたすらとぼとぼと、ときどきカメラを持ち上げてシャッターを押して、ふたたびとぼとぼと。七里ガ浜、稲村ケ崎極楽寺、長谷、由比ガ浜、和田塚、鎌倉、と江ノ電の駅がある範囲を歩いたことになった。それから鎌倉駅に隣接しているカフェ・ロンディーノで珈琲を一杯飲んでから帰った。

七里ガ浜の駐車場には秋の晴れた休日を楽しむ人が大勢、傾いた夕日の写真をスマホで撮っている。そうしてこういうふうにこの駐車場に人が集まっている「いつもの、ここ」を私はもう四十年も前から見てきていると思う。四十年前には回りにいるこういう人たちと同じ気持ちで夕日が沈むのを喜んで見ていたのだろうか。今日はもう、自分はそういう時間を楽しんでいないな、と思う。むしろ、ずっと変わらないこの季節のこの時刻の「変わらなさ」を思っている。すると、私はここにいるのにここにはいない気がしてくる。私が見ているのは、今ではなく、過去のある日のこと、あるいは、未来のある日のこと、でも構わないようだ。いずれこれだけのんびりとした秋の夕方なのだから、これは幸せのことなのだろうと、言い聞かせることにしようか。

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