ナウシカ

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付けてあったテレビのNHK BS1で「コロナ新時代の提言2」と言う番組が始まったので見ていたら、「ながら見」だったので真剣には聞いてなかったけれど、なんとなく面白かった。福岡伸一×藤原辰史×伊藤亜紗のウェブ対談番組。宮崎駿風の谷のナウシカの漫画版原作を今の時代を考える「参考書」として捉え、そこから考察をはじめるような番組でした。キーワードは福岡伸一が最近よく言っているらしい、ロゴスとピュシス。「ながら見」なので、間違っているかもしれないが、人が全て自分で計画した「人工」は「自然」に対抗できる制御された世界であると考えがちだが、それは「自然」のなかにそのような見せかけの「人工」があるだけであり、そのことをちゃんと受け入れ忘れず理解していないと、人類はこの先、間違ってしまう、と言うようなことを言っていた・・・のかな。人工のすべて予定調和で満たされた清潔な世界だけを理想とする社会に違和感を感じて、それだけでは間違っているとナウシカが考察したような、その間違った世界をわれわれはいつの間にか前提としているのではないか?もっと予想外で汚れている世界も受け入れないと自然の中にあるたまたま進化した動物(言葉を得てしまった動物)としての人類に未来はない(・・・とまでは言ってないか)。そんな感じ?すいません、適当な視聴で。

 出演者の誰かが(それすら覚えていない)が紹介していたのは武漢がロックダウンしているときに武漢在住の女流作家がアップしていた日記で、進化した社会とは弱者を思いやれる社会だ、とその作家は言っていることが紹介された・・・あれ?これは別の番組だったかしら。物質的な充足?競争のなかで他より物欲が叶えられる経済的に富んだ社会が、進化(=民度が高い)したこととイコールではない。

そして、その番組と私が思い出したことがどう関係しているか自分でも不明だけれど、二つのことを思いました。

①2011年の大震災のあとの毎夜、東京都内だけは電車で通過していても明るくていままでとあまり変わらず暗くなかったけれど、当時行き来をよくしていた栃木県と神奈川県では駅から街に出たとたん、いつもより街が暗かった。そのときそれがぜんぜん「嫌」ではなかったのは、私が子供だったあるいはハイティーンだった昭和30年代~50年代初頭まで、夜はこれくらい暗いもので、それが懐かしかった・・・のかもしれないのだが。とにかく、あぁ「闇夜に乗じて」と言う言葉もあるけれど、闇とか地下とかに秘められたこと(物語)が、それが明るく正義に満ちていなくても、実は芸術であったりあるいは「大人の世界」であって、現にそういう闇があったから大人と言うものは今の大人ほど子供ではなかったのではないか。そんなことを思ったものだった。それで♪忍びあう恋を包む夜霧よ♪なんていう曲を、当時、茅ヶ崎駅の改札階から一階への階段を降りながら思ったものだった。以上が思い出したこと①

②AIとDL(ディープ・ラーニング)なんていうことが進み、シンなんでしたっけ?コンピューターが人の知能を越える社会がもうすぐやってくると言われ、そんな科学の進化が今ある人類社会の平衡を大きく揺るがしてしまうのではないか。それを機会ととらえるか怖いと思うかはさておき・・・AIとかDLって言うのは門外漢なのでちゃんとは理解してないけれど、過去のデータと正解の在り方から、こうあるべきということを「もっとも確率が高い」解で提示するということなのかしら。だけど、生命の進化の歴史はその確率に反するところから偶然現れた優性による変異(と言う単語ではないんだろうけれど)が積み重なった、のだとすると、昔の野村野球の乱数表のように確率野球を目指しても乱数のような「偶然」の確率を重視するところがあったように???(この比喩も乱暴だろうか)AIやDLが偶然の優性を生み出せないと、それは憂鬱な未来になっちゃいそうに思ったりするわけです。それで思うんだけど、人が大人になる、と言うかいろいろな経験が偶然積み重なってそこに嗜好が生まれる、例えば何々を「趣味とする」と言うところに行きつくのは、予想や確率ではなくもっと断面を飛び越えるような偶然(と言う名の必然)が起こしているのではないのかな。「何年前まで僕は釣りが好きで、休日のたびに近くの砂浜に行って投げ釣りをしていました。それが今こんな風にもう釣りをしなくなって、ここまで家庭菜園に夢中になるなんて思いもよらなかった」と言うことがあったとして、一例ですよ。その思いもよらないことが起きたのは「たまたまある日・・・」から始まる何かの「偶然の」出会いから影響を受けると言うことがあったのではないか?その「たまたまある日・・・」をAIやDLは起こすことが出来るのだろうか・・・って乱数的(むかし流行った揺らぎ理論的)にそういう外乱をアルゴリズムに仕込めば簡単ですよ、と言うことなのかもしれないが、でもなにか違う。気持ちと言うものはそういうことではないと思うのです。

と言う①②をなぜかテレビを見ながら考えたという土曜日の夜でした。

土曜日は写真を撮らなかったので、上は、8/3日曜に平塚市の神奈川県立花菜ガーデンで撮った写真を使いました。1/8000秒F1.2/50mmの70年代のややオールドレンズ。フルサイズMLカメラ。