猛暑のなか

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都内を歩いた帰りの湘南新宿ライナーグリーン車の二階から多摩川の河川敷で野球をしている人たちの写真を撮る。さっきまで私自身もその真夏の世界に属していたのに、一瞬にして通り過ぎる冷房の効いた電車の中から外を見ていると、自分だけが取り残されたようなわずかな焦りのような気持ちが起きる。それは晩夏に対する哀惜のようなことなのかもしれない。夏の光を浴びて芝生のあいだから白い土が見えているその光景も今の夏というより遠い夏と言う感じを呼ぶのではないだろうか。

1960/70年代の映画には、夏と言う季節と自由や愛や性を求めて体制に反して暴走するような若者がよく描かれていた。小説でも音楽でも、いつも若者はエネルギーを持て余し発散すべくなにかにがむしゃらに反抗していて、ときにはその対象なんかなんでも良かったのではないか?具体的に行動で反抗することが大事で、それが夏と言う季節にふさわしかった。タクシー・ドライバーのトラヴィスが向かう相手は政治家でも用心棒でも良かったのだ。結果として正義のヒーローのように扱われるが、彼がやったことは自分の壊れた殻から抜け出すための行動だったのだろう。

私の世代にとっての夏はそういうものだった。だから夏は単なる季節ではなく心の状態なのだった。

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