ジャコビニ彗星の日のこと

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本日の通勤の自家用車で聴いたアルバムは松任谷由実「悲しいほどお天気」とフレディー・ハバード「レッド・クレイ」とローリング・ストーンズ「レット・イット・ブリード」で、持ち込んでいたジェリー・マリガン「パシフィック・ジャズ」は聴けなかった。

松任谷由実のこのアルバムの最初の曲は「ジャコビニ彗星の日」で歌詞のなかに1972年10月9日と出てくる。その日の夜にもしかしたらシャワーのように降り注ぐ流星群が見られるかもしれない、と言うことで日本中?世界中?の多くの人たちが夜に空を見上げて星が流れるのを見逃すまいとしていたが、とうとう流星群(流星雨)は現れなかった。その日、私は15歳の高校一年生で、同じ高校の友達と二人で、家の近くにあった(父が勤めていた)病院の4階建ての病棟の屋上の上にあるエレベーター機械室の屋根の上に登り、ナショナル(いまのパナソニック)のラジオ「クーガー」、それはウーファーが大きくど真ん中に設置された正方形のラジオで当時はけっこう人気だったが、それで深夜放送を聞きながらずっと空を眺めて深夜をすごしたが、とうとう流れ星はひとつも見えず、そもそも空は曇っていたのではかったか。でも肉眼では見えなくてももしかしたらフイルムには流れ星の光跡が写るかもしれないな、とバルブで何枚も空に向けてシャッターを切ったりもした。たぶんオリンパスOM-1に50mmのレンズで。後日、フイルム現像が上がり、それをDPE店で受け取ったあと、たしか市民センターで市内の中学だったか高校だったかの吹奏楽部の演奏会に行ったと思う。開演前にその客席でフイルムをネガケースから取り出して、天井のライトに透かせて見たがどうやらなにも写っていないことがわかり、それはそうに決まっていると思う一方でちょっと残念だった。そして私がフイルムをそうやって見ているときに、近くの席の知らない大人の女性客が有吉佐和子の「恍惚の人」という小説の話をしていたというどうでもいいような記憶が残っているのだ。いまWikipediaで調べたらその小説はたしかに1972年の刊行とあったから記憶は珍しく?正しいかもしれないな。さらに覚えているのは、そのあとはじまった吹奏楽部の演奏会の演奏のなかで、トロンボーン奏者だったか明らかに演奏を間違ってしまった。そのとき客席から「しっかり吹け!」といった内容のヤジが飛び、私は、私が中学のときに吹奏楽部だったこともありここに至るまでの部活の練習の必死さなどが推察できたこともあったからだろう、そのヤジに内心とても憤慨したのだった。家に帰ってさらに子細にネガを観察したが流星は写っていなかった。

ユーミンの歌詞は

『夜のFMからニュースを流しながら 部屋の灯り消して窓辺に椅子を運ぶ

小さなオペラグラスじっとのぞいたけど 月をすべる雲と柿の木ゆれてただけ

72年10月9日 あなたの電話が少ないことに慣れてく

私はひとりぼんやり待った 遠く横切る流星群』

と歌われる。上記の私のこの日の記憶とは関係ないけれど、ジャコビニ彗星が流れなかったという一つの節目のような日に人それぞれに記憶が生まれたのだな、と思ったりする。ラジオを流しながら空を眺めたというところは歌の歌詞の通りに私も過ごしていた。

このアルバムは発売当時の1979年にLPレコードで買ったけれど、あまり好きになれずほとんどレコードプレイヤーに載ることがなかった。当時の私がユーミンのもっと派手な曲の多いアルバムを期待していたから、しっとりとした感じの良さに気が付かなかった気がする。いまこうして聴いてみるといいですね。この当時の曲は歌詞に日付や小物や景色が描かれていることが多かったな、具体性の強いエピソード記憶を歌っている。最近の応援歌のような曲の歌詞はもっと抽象的だったりすることが多い気がする。流行歌の歌詞にも時代の変遷や流行があるのだろう・・・当たり前か。同じアルバムに入っている「緑の町に舞い降りて」を聞くと、春の快晴の盛岡市を散歩したことを思い出す。

久々に聴いたストーンズの「レット・イット・ブリード」にまつわる記憶もあるけれど、今日はここまで。