ザ・バンドの映画

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渋谷のパルコの8階にある映画館まで「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を観に行ってきました。

大学生のころ、1970年代中、名古屋で下宿暮らしをしていた小さな部屋は、幸いFM愛知の電波をきれいに受信することが出来て、昼の12-13:00かそれより一時間あとに、NHKFMが律儀に毎週一人のアーティストを取り上げて、そのアルバムを一日一枚くらいのペースで、演奏にナレーションをかぶせることもなく流していたので、よくエアチェックをしていた。覚えているのはその放送の、声もしゃべり方も番組同様に律儀なアナウンサーが、ビートルズのイエロー・サブマリンのことをイエロー・サブリマンと読み違えていて、それがその方にとってはもう間違って覚えてしまったこととして更新されなくなっていて、名古屋にいた4年のうちにその番組を何回聞いたのかはわからないが、そのあいだに、イエロー・サブマリンを紹介するところを二度か三度、私は聴いていて、そのたびにイエロー・サブリマンだった。

授業を聞くときには友達とつるんだりしないので、と言うか、もともと大学の友達は研究室に振り分けられる4年生になるまではほとんどいなかったから、いつも一人で真ん中よりちょっと後ろの窓に近い席に座り、青空に浮かぶ白い雲を眺めていた。あるときだれかが「私はビートルズをまだ聴いたことがないので、今度、時期が来たら系統だって聴いてみたいとは思っている」と言っていて、そのころは最後のビートルズのアルバムが出て、まだ五年くらいのころで、ジョンも射殺される以前のことで、彼らのことは今のように「過去の伝説の歴史上最高のバンド」ではなく、もしかしたら再結成されるのではないか?みたいな噂も流れていて、でもポールはウイングスでかっこいい曲をまだまだヒットさせていて、そんな頃だったから、その話を聞きながら、ロック音楽は、同時代に自分の感性を反映させる鏡で、かつ時代に反発する起爆剤として機能出来る我らの世代の音楽であって、それを「時期が来たら」とか「系統だって」とか言っている段階でオマエは一体何様だ!と内心、なんだか妙にイライラしたのを覚えているが、それでも私自身は、そんなに音楽に早熟でもなかったこともあり、やはりビートルズにもザ・バンドにも遅れた世代で、ぎりぎり「レット・イット・ビー」が新発売されたときのレコード店のポスターがたくさん貼られた光景は覚えているし、ヘイ・ジュードが大ヒットしている頃にその曲をみなで歌いながら平塚市の繁華街を歩いた中学時代のことが微かにあるし、ザ・バンドの「南十字星」が新譜で出て、上記のNHKの放送でザ・バンドのアルバムをエアチャックしてヘビロテしていた私は、それをリアルタイムで買って「アケイディアの流木」「同じことさ」「オフェーリア」なんかは一応リアルタイムで聴けて、そのあとにシングルの「トワイライト」も好きだった。でもそれぞれバンドの歴史をそれこそ後日に系統だって書かれたものを読むと「レット・イット・ビー」も「南十字星」や「ラストワルツ」や「アイランズ」は、それこそバンド末期の内紛状況から苦しみとともに生まれてきた「傷だらけの」アルバムで、まぁそれでも彼らの生きていた時代でそれを聴くことに間に合ったとも言えるが、やはりぎりぎり間に合わなかった感じが強くて、それは同時代のジャズやほかのロックや、本や社会にたいしても、一番の変革の季節には遅れた感じかもしれないのです。

ザ・バンドのロビーはきっと早くに家庭を持ったこともあって、正義や暮らしぶりやもしかしたら経営の才覚もあって、いわゆる「真っ当」に自分の人生を生きる道筋に自明で、リスクを勘案でき、将来にも明確な定量目標を置いて、成功を目指せた正しい人だったのだろう。それと同時にあれだけ個性的なギターを弾けて、曲を生み出せる才能にも恵まれていた。ほかのメンバーはもっと感性に忠実で刹那的で、ミュージシャンとしては一流(以上)の才能に恵まれていたが、言葉以前のところで抽象的な夢を具体化することにはたけていなかった。後者の方が普通だと思います。そしてザ・バンドのレボンやリチャードや、もっと広く見渡すと多くのジャズミュージシャンが若くして「不慮の」でもドラッグの影響であることは明確な死を迎えていて、そういう死に方が「かっこいい」とさえ思われた時代だったから、ロビー・ロバートソンの方が稀有に道徳的で紳士であったことがむしろ奇異だったのかもしれない。

ザ・バンドについてはロビーとレボンの確執、解散にまつわるどろどろの状況、のなかで長らくロビーだけが悪者のように書かれていて、ロビーだけが上手く生き延びていると言われてきて、たしかにリチャードは若くして自死し、リックはあんなに太ってしまい、迫力のない悲しみにまみれているだけのようなミュージシャンの後世を生きたのちに早くに病死してしまった。レボンについては、癌で他界するまで、ロビーに反骨するように生きていた気もするが。映画「ライトスタッフ」のレボンが男優として飛行機整備士として出てくるところの場面は忘れられないな。なんか。

そしてこの映画は生き残った(無口なガースはさておかれて)ロビーがこれまた十分に観客の受け方を意識コントロールするように話しているから、それはそれで怪しいもんだとも感じてしまうけど、でも映画を観ていると、そんな憶測や懐疑なんかどうでもいいです。ロビーのミュージシャンとしての凄さはもちろん知っているし、レボンが太鼓をたたきながら首をかしげてマイクの方を向いて歌う姿はかっこいいし。曲は最初から最後までぜんぶ知っていて、それも上記のとおり、若い時に「系統だって整理して」ではなく流し込むように親しんできた曲ばかりで。なのでビッグ・ピンクからブラウンアルバムまでの彼らの「よき時代」が描かれているあたりでは、なんだかね、涙が溢れそうになるのでした。きっと、私と同世代と思われる多くのおっさんおじいさんの一人客の心の中では、みな曲を一緒に口ずさみながら、四十年五十年前のプライベートな記憶と一緒にザ・バンドの音楽は最高だった!と思っているんだろうな。

写真はどこかのビル、そのビルはなにかバレー教室でもあるのかな、のショーウィンドウに貼られたそれこそ十年も前から貼られていたんじゃないかと思われる写真。と見ればわかるけどハロウィンの飾りつけがちょっとだけしてある、ハロウィンには感心がなさそうな客筋の居酒屋です。

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