デジタルカメラ

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2000年代半ば、デジタルカメラが急拡大を始めたときに、よく、撮影後に画像処理を施すことの可否に関する議論があったが、あまり最近は聞かなくなった。上の写真は、JPEGのRGBデータをモノクロ変換(カラー情報破棄)してからふたたびRGBにしてから、ノイズ付与とトーンカーヴ補正を行ってます。ではフイルム時代はこういうことをやらなかったのか?と言えばずいぶんやったよねえ。ただ、あとから選択肢があって、元に戻れるというところがデジタルとは違うのかな。たとえば、増感高温フイルム現像すれば粒子が荒れたし(ノイズ付与)引き伸ばしの印画紙の号数を変えるとコントラストも変わった(トーンカーヴ補正)。引き伸ばしレンズの前にストッキングを置いて光を拡散させればソフトフォーカスに出来たし、デジタルでレイヤーなどを使ってちゃちゃっと出来る覆い焼きや追い焼きも、引き伸ばし感光時間に掌等で光の照射量を場所によってコントロールすれば可能だった。いかにもアナログ的作業なので同じプリントを作るのは難しかったものの。なので当時は、アナログでもやっていたことがより簡単に出来るようになっただけで、これらの画像処理はまったく問題ないでしょう、と私は思っていた。今もそうですね。それではなにか背景に不要のものを消したり、色を変えたり、そういうのは?アナログ時代だってスポッティング作業等でそれだって可能だったけれど、高難度技だったし、アナログ時代にも「それはさすがにダメでしょう」と言う感覚はあった。デジタルカメラから写真をはじめた人にはこんな微妙なハードルはないのかもしれないですね。わからないけど。

部屋を片付けていて、ずっと見ていなかったDVDを見たり、買ったまんまろくに読んでなかった雑誌をじっくりと読んだりした。

十数年前にNHKで放送された森山大道のドキュメンタリー番組では、森山さんがはじめてリコー社のコンパクトデジタルカメラを使い方の説明をその場で聞いて、銀座を撮り始める場面があった。そして少し撮ったあとにその感想として、ポラロイドにちょっと似ているな。でもポラは撮ったらすぐに過去が写っている感じがするけど、デジタルはそこが違う、と最初の感想を話していた。なるほどな、と思った。

2018年の雑誌kotoba33号は「アブナイ、あぶない、危ない写真」と言う号。買ってすぐにちょっとは読んだ気がするのだが、読み直しても読んだ記憶がまったく起きない。それはさておき、篠山紀信が、デジタルカメラはあとでなんでもできるから撮っているときの緊張感がない、と言っている。(フイルムカメラで撮るということは)かけがえのない一瞬を撮る、その一瞬を知っている人と、あとからどうにでもなると思う人では全く違う、話のレベルが違う、と続く。そして、写真家は僕(の世代)で終わりです。デジタルの人はね、新しいジャンルのひとたち(で写真家とは呼ばない)と、まとめている。

森山さんも篠山さんも1940年前後の生まれだろうから、その後の人たちはどう言うのだろうか?いま、フイルムにまったく関与せずに出てきた写真家って誰がいるのだろう?そしてこの件についてはどう言うのだろう?森山さんとか篠山さんよりはるかに若い写真家で、ちょっといいなと思い浮かぶひとたち、瀧本さんとか奥山さんとか、あるいは人気の梅さんや川島さん、みんなフイルム使いだったような。すなわちフイルムからデジタルという流れが普通とか、いわゆる「便利」で「失敗確率が減った」といった次元とは違うところで使用機材が選択されている、使用機材の選択肢のなかにデジタルも入って来ていてTPOで選びますよ、と言うことになっている気がする。迅速な電送を必要とするスポーツやニュースの場面ではフイルムってわけにはいかないのだろう。

なんて話は実はたいしたことではないのかな。いずれにしてもこうしてこのブログのページに上のモノクロの犬のいる風景の写真がある。最初この犬は私に尻を向けて、向こう側に向かって激しく吠えていた。そのうちふとこちらに気付いて、向きを変えているところがこの写真。そのあと今度はこちらに向かって、ものすごい声で吠え始めた。当然繋がれている犬だけれど、けっこうびびりましたね。