夜を徹して

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30歳の頃、故・森田芳光監督の「の・ようなもの」と言う映画が好きで、テレビの深夜番組で放送されたときに、VHSビデオテープに録画をしておいて、何度も何度も観た。若手落語家を描いた青春映画。この映画の中で主人公の若手落語家しん魚(しんとと)が女子高校生とデートをしたあとその子の家まで送って行き、帰りに終電を逃し、歩いて帰る場面があった。終電が行ってしまったのは京成の堀切菖蒲園とかそのあたりの駅だったかな、そこから浅草を越えて家に歩いて帰る。このとき、しん魚が夜の町の光景を目にしながらその光景を頭の中で短い言葉で描写していく場面があって、そこがすごくいい。きっと設定は夏で、家に着くころにはもう明るいから、例えば堀切菖蒲園の駅が深夜1時近くで終電を逃し、3時間くらい歩いて帰るという設定だったのだろうか。具体的にしん魚の(頭のなかの)言葉を覚えているわけではないが、例えば墨田川を渡るときには「墨田川を渡る京成線の鉄橋を始発電車が渡っていく、どこへ行くのか暁烏・・・しんととしんとと」といった感じの言葉だった(映画ではそれが詩のように画面と同時に声として聞こえる)。

私も同人になっている写真同人ニセアカシアのメンバーの林さんが、ニセアカシア3号写真集に掲載した「かえり道」という作品のページをめくると、映画と同じように終電を逃し歩いて帰る道すがらに撮ったモノクロの正方形の写真に言葉が添えられている川面の月影を撮った写真には「幾筋かの川を越えて。川面に映る月明かり。振り返ってみる街の灯。」とあり、例えば交差点のタクシーを撮った写真には「夜も更けて憩いの地に安らぐ車は、明るくそしてささやかに、記憶を霧と消してゆく。」と書かれている。

ところで、林さんがその新しい朝をどう迎えたのかは知らないが、映画の方はこっそりと深夜に家からスクーターで抜け出した女子高生の彼女が先回りしてしん魚を待っているという粋な場面があってほっこりする。

あるいは、これまた私が大好きだった故・市川準監督の「大阪物語」と言う映画では失踪した父親を捜して中学生の女の子(主人公)とそのともだちの男の子の二人が大阪の街を彷徨う。彷徨うという単語よりもっと疾風のごとく駆け回る感じかな。

今朝は出勤の往路はマッコイ・タイナーのFLY WITH THE WINDを流していた。マッコイ・タイナーの曲はいつも疾走感と焦燥を同時に感じる。目的に向かってその途中にあり急いでいる感じがある。もちろん「の・ようなもの」にせよ「大阪物語」にせよその場面ではなにか音楽が流れていたのだと思うし、それは決してマッコイ・タイナーではなくて、もっとその場面にふさわしい音楽が選ばれているに違いない。が、例えばこんな場面が浮かぶように音楽を聴いて映像が思い浮かぶ力がとても強いのだった。

すなわちマッコイ・タイナーのFLY WITH THE WINDという映画を観ているような感じになる音楽なのだ。一曲目二曲目三曲目とその流れもそういう感じなのだった。

 

帰りはUAのTURBO。2000年頃に近所にTSUTAYAがあったのでせっせとCDを借りてきてはCDーRにコピーしていた。そんなCD-Rが靴を買ったときの箱にたくさん入っているのを久々に発掘したのでその中にあったこのアルバムを今日は久々に掛けてみた。2000年頃、長距離通勤をしていて、CDウォークマンで音楽を聴きながら電車の中で小さなPC(当時富士通から出たLOOXという小さめのノートパソコン)で文章を書いていた。日記とか小説(まがい)。一曲目のプライベート・サーファーではアナログレコードのようなスクラッチノイズ(風)な音から始まる。2000年当時、このノイズは作品としての音なのか、それともCDウォークマンが静電気でも拾ってノイズまがいの音を出してしまうのか?一瞬半信半疑になったことがあったのを思い出す。今日は、スカートの砂、と言う曲を三回か四回繰り返し聞いたところで家に着いた。

 

ほかに五十嵐一生ミーツ板橋文男というアルバムも持って行ったが、そのアルバムは今日は聴けなかった。