なぜ撮るか

f:id:misaki-taku:20210116204837j:plain

小学生の低学年の頃、叔母が住んでいた浦和市の田島団地の家で、夏休み、トランジスタラジオで高校野球の試合を夢中になって聞いていたことがあった。その試合が白熱した好ゲームで手に汗握るようなものだったのだろうか?試合の中身はなにも覚えていないけれど、私は、こんなに面白いゲームなんだから、これを知らない人にぜひこの放送を聞いてもらいたい、と思った。そこでトランジスタラジオのボリュームを最大にしてから、それを持ってベランダに出た。そこで即刻叱られて、その企みは頓挫した。そんあことを思い出す。日が沈んで20分くらい経っただろうか。茅ヶ崎の浜見平団地の古い建物はここ数年かけて次々に新しい建物に建て替えられているから、このエリアの建物も近々に取り壊されるのかもしれない。黒い大きな犬を連れた人が歩いている。買った長ネギを持ったおばあさんが、自分の家のある階段を上って行った。

どこかの家からカレーの香りがするとか、ときどきつかえるピアノの練習の音がするとか、布団を叩く音があちこちから聞こえるとか、そういうのが庶民の幸せな暮らし、洒落た団地生活の象徴みたいな感じの「具体例」の定番みたいだった。70年代の前半かな。子供たちが集まって走って過ぎていく。

今日の夕暮れの団地はしんとしていた。

写真を撮る動機は、懐かしい光景だ、と感じることによって発生する。いや、発生することもある、かな。他の動機もあるから。例えば下の写真は、懐かしさが動機ではないだろう。誰かの写真に感化されてちょっと欲があって撮っているのではないだろうか。

撮る動機なんていちいち自分で考えてから撮ってない。でもこうしてあとから撮ってきた写真を眺めて考える。自問自答。どうしてそこを撮るのか、自分を知るために写真を撮っては考えたりします。ときどきですけどね。

f:id:misaki-taku:20210116204854j:plain