初春とは

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午後、下着の綿シャツの上にネルのBDシャツを、さらにウールの茶色いカーディガンを着てから、今日は暖かいからと、いつものダウンジャンパーではなく黄土色のフリースの薄手のジャンパーを羽織り、散歩に出たが、そんなことは子供の頃から知っている筈なのだが湘南地方のこういう快晴の冬の日差しは強くて、すぐに汗ばんでくる。近くの小出川沿いの遊歩道を国道一号線の方へ歩いて行く。コサギゴイサギがじっと獲物が寄るのを待っているのか、立っている。流れの両側の枯れたすすきやそのほかの植物の中を群れとなったカワラヒワシジュウカラジョウビタキが鳴きかわしながらやってきては去っていく。小鳥の群れは耳を澄まし目を凝らさないと見つけられない。そこでたびたび立ち止まっては川原の枯野を見つめる。流れのなかにはいつもの通りオオバンが泳いでいる。すると小さなすばしこい鳥が視界を左から右へ横切り、少し上流の枯れすすきの枝にひょいと止まった。カワセミだった。滅多に見かけないが、それでも、過去に何度か、その瑠璃色の鮮やかな塊(かたまりという感じなのです)に気付いたことがある。そうか、まだまだこの川に君たちは暮らしていたんだな、と思う。カワセミが来る池とか淀みとかであれば、カワセミは「そのあたり」に居続けるのだろうから、超望遠レンズの放列も並ぶそうだが、小出川カワセミは「必ず見つかる」わけではないし、流れに沿って縦横無尽に数百メートルの範囲を行き来して、すぐに見失う。そういう理由なのだろう超望遠レンズを構えている人など見かけたこともない。真っ白いコサギも、黄色のカワラヒワもきれいだけれど、それにしてもこの小さな鳥はなんでこんな鮮やかな瑠璃色になったのだろう。獲物である魚から見ると、そこにカワセミが来たことが判りにくいってことなのかな?今日もカワセミはすぐに飛び去り、どこかへ行ってしまった。

上の写真のような空地(あきち)と呼ぶのかしら。「雑草を繁るに任せて放置された住宅街のなかに残された空地」ということになる。冬だけがこんな風に明るく広く見渡せるのだろう。春から秋のあいだはすっかり雑草の緑に覆われていたのだろう。近所なのにほかの季節のこの場所の光景なんか覚えていないものだ。こういう植物だらけの空き地のほかに、子供のころは広っぱや原っぱがあったものだ。シロツメクサが一面に生えていたり、土がむき出しだったり。そしてそういう場所は子供たちの遊び場であり探検の場であり虫採りの場だった。昆虫の絵を描いて2016年に98歳だったかでお亡くなりになった熊田千佳慕さん。1990年代に小泉今日子が持っていた深夜番組で、小泉さんが熊田さんを訪ねて一緒に冬の公園を歩いて、虫を探す場面があった。仮に1990年だったとすると熊田さんは80歳代前半だったのかな、冬の公園でいきなりうつぶせに寝転がって、地面を観察していらっしゃった。それもとても楽しそうに。ここに分け入って熊田さんのように寝転がれば、きっといろんな発見があるのだろう。啓蟄は3月5日とまだまだ先だけれど、今日のような日にはすでに虫たちも春が近いことを感じているだろう。

歩きながら初春というのはいつなのだろうと思う。私は、春は3月から5月、夏は6~8月、秋が9から11で、冬は12月から2月、と覚えている。たぶん子供の頃に母がそう私に教えたのだろう。なのでこういう言葉による分類によれば今日はまだ1月だから冬なのだが、春だなぁと思うのだった。初春はいつか、とスマホで調べてみる。なんだか無粋な行為だな、とは思う。最初に出てきた解説によると1月末からとあった。次のページには2月からとあった。本当はいつでもいいのだろう。感じたときが初春ってことにすれば今日が私の初春なのだ。

ずっと歩いて行く。相模川の河口にはそれこそ超望遠レンズを付けたカメラを三脚に載せたカメラマンが四人か五人、並んでいた。でもなにを撮ろうとしているのかはわからない。河口から海沿いの遊歩道(サイクリング道路)を東へ、茅ヶ崎港の方へ歩いていくと途中から通行止めになった。遊歩道の下の砂浜が波でどんどん浸食されていていまにも崩れそうな場所が出来てしまったのだろう。その区間は砂浜を歩く。波が足元近くまで寄せてくる。茅ヶ崎の砂浜は、流されてしまう砂を埋め合わせるべくどこかからトラックで砂(土?)を運んできて足しているが、穴のあいたボートのなかで必死に水を掻き出しているいるむなしい行為みたいだ。あるいは潮の流れをコントロールして砂浜が減少しないように茅ヶ崎ヘッドランドビーチでは人工の突堤を作って波の動きをコントロールしている。下の写真は相模湾河口近くのあたりだけど、このシルエットになって人が遊んでいる場所もそういう砂流失防止工事を一生懸命やっているのではないか。そもそもは相模湾に流れ込むこのあたりだと相模川だろうか、その護岸が整備された結果、海に流れ込む砂が減り、砂の補給サイクルが断たれているのが砂浜が狭くなる原因だと聞いたことがあるが本当だろうか。相模川の河口にはむかしは干潟が広くあって、鴫などの鳥がたくさん集まる場所だったそうだが、いまはそんなこともなさそうだ。

茅ケ崎港まで歩いてきた。いつ以来?今年になって一回か二回は散歩の仮目的地としてやってきたと思うのだが、そのときはなにも始まっていなかったのに、大規模工事が始まっていて驚いた。上の写真もそうだが、なにか人の具体的な「便利」のためには活用されていなかった、遊歩道と船溜まりのあいだにあった水たまりができる未舗装の道や、その両側の草が生える放題になっていたそれこそ「原っぱ」的なところに、大型トラックやショベルカーが動き回っている。建築計画を見たら、きれいな舗装された駐車場ができるらしい。大磯の港みたいになってしまうのかな。

人の「便利」のための目的を持って「便利」には使われていないこうした空地や荒れ地や原っぱや広っぱは、言葉で言える「便利」の理屈付けが難しい。そういう場所にあった「子供の冒険の場」という「便利」と言うのか「役割」は大人の経済活動のなかでは無視される。そういう「役割」ならば安全のために設計制御された公園を作るということになってしまう。

茅ケ崎港が持っていたあのちょっとワイルドな雰囲気、廃船のなかに雑草が生えていたり、古めかしい物置小屋があったり、ちょっと盛り上がった砂の山には昼顔が咲いていたり、いつの間にか竜舌蘭が育っていたり、そういう場所は一掃されて、新しくなった数年後のここには、健康的で安全を担保されたファミリーが日帰り観光のために車でやってきては、海沿いのカフェで美味しいものを食べながら、水平線の雲や手前の「烏帽子岩」を見て、例えばその辺りに流れているサザンのメロディを聴くのだろう。

その場の全体の雰囲気、来た人々が場になにを感じるかということには、こういう無駄な空地のような場所があるかないかがとても大きなことだろう。言い換えると、これはサザンロックが似合う場所からシティポップが似合う場所になっていくような感じだ。同じ70年代のロックでもザ・バンドからボズ・スキャッグスになるような感じかしら。あるいは昭和歌謡がニューミュージックになるような。

そうなってしまえばなったで私はそれはそれで受け入れてカフェに立ち寄ったりするかもしれないし、サザンのメロディを口ずさむかもしれない。時代に抵抗して時代に馴染めなくなることがストレスになるなら、時代に迎合と言うか、ポジティブに受け入れるのが得策だろう。

いつのまにか失ってしまったものやことは、失ってしまったのだから、もう誰も思い出せない。思い出せないならば、惜しむこともない。そしてその良さも忘れられてしまう。次の良さが認識される。

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