公衆電話

f:id:misaki-taku:20210213000234j:plain

公衆電話は少なくなって、それでもまったく見掛けなくなったわけではないが、それを使って電話を掛けている人を見ることは全くなくなった気がします。ライフラインとして、災害等の緊急時まで想定したときに、ある程度残っていなければいけないといった必要性があるのかしら。電話がダイアル式からプッシュ式になったときには、みんなとても早く番号をプッシュしていた。しょっちゅう掛ける恋人の家や自分の家の電話番号を押すときはもう自動的に指が動いていた気がする。
ネットでニュースを読んでいたら、ジャズ・ピアニストのチック・コリアが亡くなったという記事を見つけてちょっとびっくりする。1980年代前半にまだあった田園調布ので田園コロシアムでの野外ライブ「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でチック・コリアハービー・ハンコックの演奏を聴いたと思います。もしかしたらソロかチック・コリア・バンドだったのかな?よく覚えてない。覚えているのは、その日の演奏はそういう選曲ではなさそうだったのに、やたらと「ラ・フィエスタ」(曲名)を大声でリクエストする客がいて、それが気になったことだ。

あの頃、会社の寮に住んでいて、プレイヤーにいっつもチック・コリアの「スリー・カルテット」というLPレコードを載せていて、会社から帰ってまずそれを聴いていた時期があったな。ほかにチック・コリアのソロピアノのアルバムも持っていた。それは輸入盤で買ったのだったが、最初から途中で針が飛ぶ箇所があって結局まともに聴けなかった。

スリー・カルテットをよく聴いていたころは、オートバイに乗っていた。私が乗っていたのはスズキのGSX250Tと買い替えたあとはホンダのGB250だった。背が低いから足つき性が気になるのと、セルスターターがなくてキック始動がマストだったからその扱いに自信がなくて買わなかったが、でも実は乗っていた上記の機種よりも本当はヤマハのSR400に乗りたかった。そのSR400は長寿命の機種となっていて、発売後40年を過ぎてもまだ現行機種として生産されていたが、とうとうこの春に最後の受注をして、受注台数を製造したら打ち切られるそうだ。

チック・コリアが亡くなったこととSR400が製造終了となることは、なんら関係のないようなのだが、こうして私にとっては若いころの暮らしのなかに共にあって、だから同じこの2月にこの二つのニュースを目にするのは、まぁちょっと悲しい気分ではあります。

そして寮があった田園都市線のI駅の周りには北口にたしかみっつ、南口にはふたつ、電話ボックスが並んでいた。フイルムのケースにためておいた百円玉を持ってそこへ行き、週に一度か二度、その公衆電話ボックスから遠距離通話をしていた。

これでチック・コリアとSR400と公衆電話がつながりました・・・おあとがよろしいようで。

 

 

スリー・カルテッツ+4

スリー・カルテッツ+4