知らない小道を登ったり下りたり

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8時台、自家用車に乗って、相模湾沿いの国道134号線を東へと走る。今日はいつもの休日よりもはるかに車の数が多く、例によって葉山の辺りまで行こうと思っていたのだが、途中でやめにする。稲村ヶ崎駅近くのコインパーキングに停めて、さて海を見に行こうと思ったのだが、ふっと気が変わって、まずは山の方(江ノ電線路より山側)へ行ってみる。むかし、20年くらい前だろうか、正月休みに稲村ケ崎駅からこの山側へちょっと行ったところにあった鰻の店に行ったことがあった。そのときに代金の釣りに二千円札が混じっていた。二千円札を手にしたのはそのときだけだったので覚えている。ちょっと一回りだけで戻ってこようと思っていたのだが、ずいぶん新しい住宅が増えたなぁなどと思いながら進むと、右側にものすごい急坂があって、その急坂の先にも住宅が続いているので、これもほんの気まぐれでその坂を上っていった。上る原動力のひとつに保坂和志の小説「季節の記憶」で僕とクイちゃんとみさちゃんが散歩しているコースがこういう鎌倉の稲村の高台の小道なのだろうかと思い出したこともあったのだろう。私が住んでいる場所(茅ヶ崎市)は平地で、こういう鎌倉の、入り組んだ谷戸のあるなかに坂道や曲がった道が続き、季節とともに木々が芽吹き花が咲き、葉が落ちて、冬の明るい陽射しが葉を落とした枝越しに差してきて、そして、九月十月には台風が来て梢が大きな音を立てて風を見せるだろう、こういう鎌倉とは、同じ湘南地区であっても、まったく違う土地なんだなと思う。それぞれの場所の持つそういう自然の違いが、暮らしや成長や思索や思考形成や気持ちの持ち方に、なんらかの小さくはない影響があるのだろう。高台の上の方の、未舗装の路地にちょっと入った先にある、広く海が見渡せるかもしれない、築40年くらいは経っているようだけれど、瀟洒な二階建ての住宅を見ると、具体的ではなく・・・ということは抽象的なのか?それも変だけれど、漠然と羨ましい気もするのだった。もしかすると小島信夫の住んでいた家や、庄野潤三の家は、もちろん鎌倉ではないものの、こういう高台にあったのかな。

あぁ、そうだった、高校のときの同級生のJ君の家は、鎌倉ではなかったけれど高台の一番上にあったな。そんなことも思い出す。J君の家のさらに上の方には鉄塔が立っているだけだった。大学生の頃、夏休みになると、仲の良かった同級生たちはそれぞれの大学のある地方都市から戻って来ていて、J君の家に集まって遊んだものだった。ギターを弾いたり、ピアノを弾いたり、レコードを聴いたり、絵を描いたり、議論をしたり、眠ったり。女の子たちは(記憶のなかで)みんなトレーナーを着ている感じ。ピンクや白の。レコードはボブ・ディランの「欲望」ってアルバムとかグレイト・ジャズ・トリオの最初のライブ盤とか太田裕美とか石川セリ。リッチー・バイラークのソロとかも。私は山下洋輔トリオの「モントルー・アフター・グロウ」を持ち込んだりしていた。夜が明けると半分の友達は眠っていて、半分の起きている連中で外に出る。J君の家からも遠くに海が見えたものだった。そういうことが、すなわち学生たちが誰かの家に集まって深夜まで一緒にいて遊んでいるようなことが、いまもこういう住宅街のどこかで起きているだろうか?それともそういうことを回顧している私のような連中が坂の上り下りに辟易しながら暮らしているだけなのだろうか。いやそれもこれも、もっといろんな出来事を人々は生きているに決まっている。決まっているのに想像できない。春に秋のこと、冬に夏のこと、を懐かしく思い出しても、ほんの半年前のことなのにリアルに思い出せない感じがする。定型的に辞書の文章のようにしか思い出していない。もっと想像力をちゃんと持ちたい。誰とも、ずっとすれ違わないときもマスクを外さないのは、それが気にならないからだけど、それでも外すべきなのではないか、とも思う。やがて急坂のてっぺんまで来ると、自家用車が上がれる道はどんつきになりそこからは人が歩けるだけの階段の下り坂になった。もう稲村ケ崎駅に戻るのはやめにして坂を下りる。下から老夫婦が上がってくる。聞くと、この坂を下りると極楽寺駅の近くに出るそうだ。そうして極楽寺まで下りて、しばらく駅前の通りを稲村ケ崎方向に歩いてから左手の住宅街に続く、さきほどほどではない坂道に折れてみると、またもや住宅街のなかの坂道になる。どんどん上がったら(最後はやっぱり階段)、鎌倉市営プールが下に見下ろせる高台の上に出た。海がきらきらと眩しい。下ると坂の下の町だった。そこから長谷に出て光則寺へ行き、ひとしきり花や枝の写真を撮る。あちこちで椿の花を見ました。光則寺にある梅の木は、老木なんだろうな。下の下の写真のように枝の表面がささくれだっているのは梅の木の枝でよく見るが、あれはどういうことなんだろうか。それすら知らないものだ。老木の梅の、のたうち回っている感じの枝を見る。大昔の日本の絵師達は、花ではなく、まず枝を見ていたのではないかと思っている。

戻りもまったく同じ山道を歩いてみる(引き返す)。最後に七里の駐車場まで行って、海辺で遊ぶ人たちを撮る。七里の駐車場の下の小さな砂浜は満ち潮だったせいもあるのか、それともこのあたりも砂浜が減っているのか、ところによってはもうコンクリートの壁に直接波が当たっていて、砂浜をたどって歩くことが出来ない。カフェレストランのダブルドアーズの前を通って車を停めた駐車場に戻る。歩数を見たら17000歩くらいだった。写真は500枚。そういえば江ノ電の古い車両301+355でしたっけ?今日も元気に走っていたな。

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