施策

f:id:misaki-taku:20210307205824j:plain

写真とは関係ないのですが、緊急事態宣言が私の住む神奈川県では二週間程度延長となり、その理由はいくつかの評価項目で目標とする数字まで新型コロナウイルス感染症の感染状況が安定的に収まっていないということだ。感染症は長くて感染してから二週間で発症するそうだ。そして例えば代表的に東京都での一日の発症者数(把握された発症者数という言い方の方が正しいのだろう)を、その横軸を日、縦軸を発症者数としたグラフを見ると、もはやこの二週間くらい、発症者数が増えもせず減りもせずという、ひとことで言うと「横這い」という印象を受けてしまう。横這いということは、今と同じような生活を都または県民が総体として変えずにしていれば(季節性要因があるのかどうか知らないが例えば季節性要因のように生活の仕方以外の関連項目が主たる感染関連要因ではなくて多くは総体としての生活の在り方に相関性が高いのだとすると)、ずっと横這いが続くことしか期待できない。さらにこの先、花見をするなとか新歓コンパはするなとか送別会はするなとか、季節的に人が集まって密になる可能性の高いイベントが発生する頻度が高い季節になり、それを「しない」「させない」は、せいぜい現状維持となるだけで、追加の終息方向へ向きを変える積極的な対策にはならないのではないか、普通に考えると。というふに考えると、まぁ我々一般市民の行動とは違う、表(おもて)にはあまり出ない「積極的な終息方向へ向かわせる新手の対策」を行政が持っているのかもしれないけれど、そうでないとすると、二週間くらい延長したって、横這いが続くだけで、宣言解除の状態に持っていける算段があるとは思えないので納得性が低い。あるとすれば、陽性者数グラフからは遅れて減少が見られてくる病床使用率などがこの先少し良くなるのかもしれないが。ほとんどの一般市民は結局のところ一日の発症者数という評価基準だけに注目している(それしか注目しないような主たる報道に慣れてしまった)。本当は検査総数で正規化した陽性者割合とか、重傷者用ベッドの使用率とか、死亡者数とか、あと実効再生産数でしたっけ、そういうのを政府のいう「専門家」の皆様は総合的に判断してるのだろうけれど、難しくてよくわからない。わからないから、いままで通りでいいや、とか、もう我慢できないから、とか、さすがに疲れたから、とか、自分に言い訳をして皆さんどんどん外に出かける。ニュースは渋谷スクランブル交差点とか千葉駅前とか銀座四丁目交差点とかの人出が減らないとか増えてきたとか言っているが、それをもって誰かが諫めたり、それをどういう数字にすべきと言う示唆をするのを聞いたことがない。政府や自治体による人心掌握は全体主義とかファシズムとかを思わせて、警戒感を持たざるを得ないが、いちばんわかりやすいのが一日の陽性者数なのだとすると、ほかの指数に関連付けながらその数字に翻訳して「東京都の一日の陽性者数がおおむね100人を切ることが目標」というようなことを示してもらい、それが出来ていたころの渋谷やら千葉駅前やら銀座の人出が、昨年どれくらいだったかを示し、もっと多くの人に響くカリスマ的な芸能人やらを使って、その目標と達成施策を明示し、みんながその数字を自らも関係する一人だという意識を持って劇場型に日々評価するような「サポーター」のような気持ちにならなければ、もうずっと横這いと風任せで二週間後にまた二週間となるだけに思えてならないのだった。昨年は多くの芸能人が自らコロナ対策の徹底を呼び掛けていたけれど、いまはだれもそんなことをしなくなったのはなぜなのかな?とも考えてしまう。結局自信の「人気」維持のために風を読んで、いま言うべきことを決めているんだな、とか思ったりもする。

たぶん百人のうちそれなりに意識的に感染対策をしてる九十人の人はコロナを拡大する方向の行動などしていない。しかし残り十人の人が、ついついちょっとはいいだろうと少しだけ甘くなる。その十人を八人にすれば、ほとんど1まで戻ってしまった再生産数はまた低い数字に出来るんじゃないのかな?

とかなんとか考えるけれど、これだってすべてそんな風に思っているというだけであって、二週間後にはきれいさっぱりよくなっているのかもしれないですね。