LPジャケット

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茅ヶ崎に引っ越してきてすぐの1990年代前半に、いまはもう見かけなくなったCDシングルと呼ばれた小さな径のCD盤を駅近くの雑居ビルの一階にあるレコード屋で一枚かせいぜい二枚、買ったことがあったが、それがスピッツだったか桑田バンドだったかのっこだったか、ええと、ヒックス・ビルってバンドあったかな、それだったか、あるいはミスチルのイノセント・ワールドだったか。湘南ベルマーレの応援ソングをナベサダが吹いた曲のCDシングルも買ったかもしれない。その店がいまも営業を続けていて、CDを売っているのかな、それとも中古レコードも扱っているのかな、店にはもう二十年以上入ったことがないのだが、店が面している駅からの道はしょっちゅう歩く。店のショウウインドウのなかにLPレコードのジャケットが何枚か飾ってある。そこにカメラを向けてノーファインダーで撮ってみた。左上はたぶんイーグルスの呪われた夜だったかベストだったか。左はリンダ・ロンシュタット。右側のフォーライフレコードのロゴが見えるのは何だろう?そしてどまんなかに写ったLPジャケットのことは知らなかった。写真をじっくりと見ると、どうやらロギンス&メッシーナのアルバムのようだ。70年代後半にアメリカの西海岸のロックやSSWの音楽が好きだったけれど、ロギンス&メッシーナは名前こそよく知っていたけれど、ほとんど聞いたことがなかったな。

先日、会社帰りに自家用車を運転しているときに聴いていたラジオが「70年代日本のシティポップ」を特集していた。最近松原みきの歌った「真夜中のドア」が世界中で人気になっているというニュースを何度か耳にしたけれど、それを機に、日本でというより世界が70年代シティポップに注目しているらしい。番組では小坂忠とか吉田美奈子とか山下達郎とかシュガー・ベイブとかエイプリル・フールとか大瀧詠一とか松田聖子とか松原みきとか、そんな歌手やバンドの名前が出てきた。私の感覚ではそれまでの日本の歌謡曲に対して、編曲にも使う楽器にも違いがあっただろうけれど、メロディとしては、なんか転調が多くて、複雑化していて、よくわからないが音符に書き直すと♯や♭が多発して、コードもCとかFとかせいぜいAmとかG7とかではなく、そこにさらになにやら難しい符号が付くようなことが増えていたのではないか。素人的な把握でいえば。例えばユーミンの「中央フリーウェイ」なんかそういう典型のような。私(の世代)はそういう「違い」が最先端でかっこいい音楽と刷り込まれたので、最近の、日本の若い人たちの歌はむしろシティポップ登場前の、かっこよくなる前のメロディに聞こえて、なんだかなぁと思うことがある。ところが、実はそうではなくて、そういう『音符に書き直すと♯や♭が多発して、コードもCとかFとかせいぜいAmとかG7とかではなく、そこにさらになにやら難しい符号が付くようなことが増えている』と私が耳で聞こえることを合っているかどうかわからないがそう言葉にしてみたタイプのシティポップ「的」なメロディラインこそが、いまの若い人たちの耳には「ださい」「古い」「懐かしい」と聞こえるようなのです。あるいはそれも間違っていて、もう私の耳では追いきれないくらいそういう曲作りのコード進行やら編曲やらがさらにもっとずっと複雑化しての今であって、追いきれないからわからないという状態なのかもしれない。

ま、だからどうだって話ではないですが、流行するものとはそういうことなんだろう。それでさらに時間が過ぎると、そういう特徴をあらたに再評価して今風のアレンジを加えて・・・なんて言うことになる、というかなってきつつあるのが松原みきの「真夜中のドア」なのかもしれないですね。

この曲の入っていた「ポケット・パーク」というLPも持ってました。いまも持っているのか売ってしまったかわからない。アルバムの中に入っている「愛はエネルギー」という曲が好きだったな。松原みきさんは早くしてお亡くなりになっていて、ご冥福をお祈りもうしあげます。