ころもがえ

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午前、またぞろカメラを持って写真を撮る。今日もまた植物の写真です。どうもマクロレンズ被写界深度を薄くして写真を撮るときには、AFで合わせても、その後、カメラを持つ自分の前後への揺れのせいでピント位置は狂ってくる。そこで、息を止めて、所望の位置にちゃんとピントが来ているか注視し、ずれていれば身体を少し前後に動かして補正して、シャッターを押す。連写にしながらカメラを前後に動かして、あとからベストピントのコマを選択するという現代風のやり方もあるだろうけれど、どうも連写して数打てば当たるといった手法は好きではないです。とくに今日は中望遠マクロを使っていたのでその動作が慎重を極めるから、息を止めている時間も長くなる。ふと気が付いたらまるで熱中症のように苦しくなっていた。それで深呼吸をしたり首を回したりしてから、自動販売機でなぜかトマトの缶ジュースを買って、日陰の椅子に座って飲みきったら元気が回復しました。

帰宅してから撮ってきた写真をPCに取り込んで眺める。昼寝をする。ダゾンで川崎フロンターレ名古屋グランパスの試合を見る。そのあと17時を過ぎてから衣替えをした。ついでにセーターやらTシャツやら、衣替えに合わせて思い切ってたくさん捨てる。それでも私はTシャツを持ちすぎです。

Tシャツはそれを買ったときの状況、なぜそのTシャツを買おうと思ったかは、多くの場合そこに描かれたイラストや写真や文字等が、そのときの私の選択の気分に合致したわけで、ほかの衣類の色合いや肌触りやデザインや柄だって同じかもしれないけれど、選んで買ったそれぞれのTシャツへの思い入れは特別に強いと思う。

と、これを書いていたら、十年くらい前に祇園祭宵山の夜、暑い暑い京都で、どこかの美術学校の学生が手作りしたというTシャツを売っている期間限定ショップ(ほんの三日の間くらいのショップ)の前をたまたま通りがかり、そこで買ったTシャツを、断捨離で捨てる方に入れていたのだけれど、急にそのTシャツが惜しくなり(感覚的には可哀想になり)捨てるのをいま止めました(笑)そのTシャツにはアポロの宇宙飛行士がはじめて月面に降りたときの写真を素材にして、デザインされている。するとあの暑かった夏の夜のこと、途中で入った蕎麦屋のこと、その店でこの月面着陸Tシャツではない別のTシャツを制作した学生に話を聞いて、でも彼の作品は買わずに月面着陸の方にしてしまったのでちょっとゴメンナサイという気持ちが生じたこと。それからそのTシャツになっている月面着陸のとき、私は白黒テレビでその生中継を見ていたことを思い出せば、あの子供の頃に住んでいた家の間取りやテレビのあった位置や、それを見ていたときの興奮した気分、それも思い出せるのだった。

こういう風に買ったときのことはよく覚えているけれど、どこどこに行ったあの日、なにかが起きたその日・・・そのときにどのTシャツを着ていたかはあんまり覚えていない。