一目だけ見る

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朝早くからテレワークを開始して、まだまだ日が高いうちに仕事を切り上げ、予約していた歯医者へ行く。上の歯茎に何か所もチクリチクリと麻酔注射を打たれる。治療後、上あごは、麻酔で感覚がない。それでも本日の運動をしていないから自転車を漕いで海岸まで行ってみた。自転車で往復4~5キロ漕ぐことが運動になるのかどうかはわからないが。砂浜と防砂林のあいだの自転車と歩行者用の道路があるから茅ケ崎港から西へとその道を走ってみる。砂は風に運ばれたのかこの道のすぐ横に小高く積もっている(たぶん道を覆った砂をはらった結果すぐよこに砂の山になったのだろう)。途中で自転車を降りてちょっと砂浜に降りてみた。西に傾いた太陽が斜めの光を届けている。そしてその逆光のなかにハマヒルガオが群生になって咲いているのを見つけた。花は光っている。向こうの西の空は雲が覆っている。西に傾いた太陽は、もうすぐに、数分のあとにはその雲に隠れてしまいそうだ。持っていたカメラはコンデジだったので、逆光のなかLCDファインダーではどこが撮れているのかよく見えないのだったが、おおざっぱに方向を決めて水平線表示を見ながら何枚か撮りました。そしてすぐに太陽は雲に隠れてしまった。

あぁ、偶然にちょっときれいな光景を見て、写真に撮ることもできたな、と思った。これは「いい景色」これは「特別な絶景」これは「普通な感じ」と分類するのはなにがその要因であって、なんで誰もにある程度共通にその美的判断基準のようなことを持っているのだろう。綺麗だと思うものの、そういうこともあるだろう、と冷静に一瞥して、良い偶然だった・・・と思うにとどめ浮足だったり興奮したりしない方がいいんじゃないか、と思う。しかし、こうして喜んでブログに載せているんだから始末に負えないか・・・

捨てずに本棚にずっと置かれている本と、読み終わったら捨てるなり売るなりする本の選択基準が自分でもよくわからないが、まぁ若いころに心打たれた本とか、あるいはちょっと昔の文学青年の拘り的にある意味「かっこつけて」残してある本とか、そこにもなにか見栄のような基準がありそうだが・・・まぁいいや、その本棚に吉行淳之介著「街角の煙草屋までの旅」が残してあった。

『東京でも、ときおり不思議な「想像を絶する」色合いの夕日や夕焼け空を見ることがあって、そういうときには「おや」とおもい一目だけ見る。』

おやとおもい一目だけ見る、程度の対応で済めばかっこいいだろうな。