テレワークをしている自室のPC机のすぐ左横に本棚があって、本棚の奥まで本を入れるとその前に棚の残りの平面部が出来るから、そこにいろんな物を置いてしまう。そんな雑然と置かれたいろんな物のなかに、一冊のノートといくつかの小石が置いてあった。小石は海に散歩に行くと、ときどきポケットに忍ばせて持って帰ってしまう。帰宅して手を洗うときに掌の中で石鹸を付けて一緒に洗う。砂浜に転がっている小石を吟味して選びに選んでいるわけではない。あ、小石をひとつ拾っておこうかと思ったそのときに、足元を見て、目についたせいぜい十個か二十個の小石から一つを選ぶ程度だ。そして選んでポケットに入れてしまえば、もうそのあとは小石を選ぼうとは思わなくなる。選ぶ基準が定まっているわけではないが、石の表面にある「筋」を地図の路のように見立てているかもしれないな。あるいは形が丸ければ、その全体の丸さにほっとしているのかもしれないな。
ノートには文章が書きなぐるように書かれている。一体いつ書いたものなのか、読んですぐには思い出せなかった。二度三度読んでいるうちに少しだけ思い出した。
書かれていること。
『回顧展というのは、そうやって完成された小説や詩に展覧会の鑑賞者を読書へと
導くための道しるべということなのかもしれない』
日本語が変である。
『昼休みに、会社の食堂でA定食を食べている。しゅうまいが二つ、春巻きが二つ
春雨サラダ、ごはん、卵スープ。
「春雨はなぜ春雨と言う」
「色や形を春の雨に見立てたんですよ」
コンビニで買ってきたコンビーフサンドイッチを・・・』
A定食を食べているのにコンビニで買ってきたコンビーフサンドイッチを、どうしたのだろうか?
まぁ、書きなぐってあるノートなのでそのときの本人が備忘録として残しただけなのだろうから日本語が変だろうと、どうしたのかわからなくても、いいや。
字はきたない。