海岸で

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七年か八年くらい前だろうか、デジタル一眼レフカメラに50mmくらいの標準レンズを装着して、そこにNDフィルターを何枚か重ねて付けて、スローシャッターで写真を撮ることに夢中になっていた。たぶん、このブログを遡っていくと、スローシャッターに夢中になっていた日々のブログも出てくるはずだ。その頃、私も同人の一人になっているニセアカシア発行所の松本さんにスローシャッターで撮った写真でzineを作成してもらった。タイトルは「見えない虹を探すこと」。その頃、スローシャッターで撮った写真をとても気に入っていたのだが、今見ると、その頃に感じていたように「いい」とは思えない。なかには今でも「いいな」と感じる写真もあるけれど、そうは思えない写真もある。せっかくzineを作ってもらったのに、こんなことを書いていたら、失礼なことである。申し訳ない。

そのzineを捲ってみて、そこに印刷されたあるページの一部を接写してみた。わざと斜めから撮ってみて、空と海を溶けるようにぼかしてみた。

これはどういう行為なんでしょうね?・・・って自分でやっていることなのに「コンセプト」を文章化しろと、例えばそう聞かれると、戸惑ってしまう。写真があって、その一部を注視して、そこだけ拡大して、拡大するときにちょっと工夫をして空と海を溶かそうとした。これは、例えば白いキャンパスに絵を描いていくとか、写真を撮る場面を作りこんでいく種類の写真、とか、平面を創作することに、(写真だけど)いわゆる当たり前の記録写真より製作者の自由度が与えられているってことだろうか。スナップ写真をすばやく次々に記録していく行為とは違って、そういうスナップ行為が粋でドライだとすると、ずいぶんと抒情的でかつウェットな行為に近いのではないか。こういうことをやると、一方でひたすら記録を続ける街角スナップという行為の潔さというのか、次々と襲い掛かる光景を斬っては捨ててまた斬って、というようなことの魅力が却ってよくわかる気がする。

でもこれはこれで出来上がった上の写真はコンセプトもわからず戸惑うばかりと書いたものの、これはこれでカッコいいじゃんとも思うから、楽天的というかお調子者というお気楽というのか。