写真の動機

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都内の某写真集専門書店から定期的にメールで新刊案内や割引情報が届く。店に行ったこともあるが、ウェブページでそれぞれの写真集についての短い解説文を読む方がどういう本かわかりやすい。もちろん、店に行けば、たしか解説のポップが立っている新入荷本もあるから同じようではあるが全冊の解説が読めるわけではないだろう。でも実物の本としての重さや手触り、印刷や紙質、を知るには店に行くに限る。あるいは店内のどこかの棚の片隅で偶然見つけた写真集が気に入るかもしれない。そう言う実物感と偶然の出会いは店に行くしかない。すなわちこれは二者択一なのではなくそれを組み合わすに越したことがないってことだろうな。
それって、むかしむかしに輸入盤レコードを買いに、住んでいた神奈川県平塚市から、(タワレコが日本に出店する前に)渋谷のCiscoとか青山のパイドパイパーハウスに行っていたのと、結局は似てる。通販はなかったけれど(あったのかもしれないけどそれを使おうとは思わなかった)、音楽情報誌のニュー・ミュージック・マガジンとか、なんだろう?ザ・ミュージックってあったかしら?そう言うのに掲載されたロック評論家の新譜評価の記事を読んだり、ジャズであるとスイング・ジャーナルの新譜解説を読み点数を見たりして、そう言う事前調査で買いたい(聴きたい)LPレコードをメモしておいて、さて、数ヵ月に一度、バイトで貯めたお金を持って平塚駅から湘南電車で品川へ、山手線に乗り換えて渋谷へ。Ciscoでは猛然とレコードの入っている、あれはどう言えばいいのかな、上向きラックにレコードが縦に入ってるようなの、それを右手と左手の指で高速に捲りながらジャケットを見て瞬時にそのLPに興味があるかないかを判断していた。そして、例えば5枚のレコードを買ったとすると、店内でのLPとの「初対面」で買ったのが2枚、事前にメモしておいたものが3枚と言う感じだった。いわゆるジャケ写買いも2枚のうちの1枚にはあった。満足するものは3枚の中に多い。がっかりするのは2枚の中に多い。でもとびきり気に入って自分の音楽を聴く(生意気な言い方だけど)幅が広がるきっかけになるのは2枚の方からしか出なかった。この「偶然の」必然の出会いのようなことは過去の嗜好分析からは得られないように思えるが、潜在的にはその嗜好があり、そこまでのAI分析が可能ならば通販サイトのオススメも侮れない。
話が戻り、写真展書店の案内に森山大道のシリーズ写真集の「記録」が二割引とあったので値引きされてる各号の上記の案内文を読んだら、38号だったかな、引用すると
「カメラを手に歳を重ねるにつれて、ぼくは自身が写しつづけてきた数多くのイメージのルーツが、結局昭和20年代の少年期、つまり終戦後の数年間にぼくが見、そして体感した数々の記憶にもとずいていることに気付かされる。  戦後のある時期、国内あちこちの町々を転々とした頃の記憶が、ぼくの意識の底に降り積り、後年、街頭スナップカメラマンとして写すさまざまなイメージのなかへと、つと指先きを伝わって呼応し反映されているような気がする。ようするに、ぼくが撮る写真の大多数には、そのとき写す現場で意識するしないにかかわらず、一瞬タイムトンネルを通してたった現在(いま)と交感し合っていると思えるのだ。」
http://shelf.shop-pro.jp/?pid=159610438
森山大道とわたしは約20歳差なので、わたしがスナップするときの被写体の選定に同様原理が動いているとすると森山さんの昭和20年代はわたしにとっては昭和40年代になる。そしてここに書いてあることはまさしくここ数年、自分自身もものすごくそう言うことを感じていたので、何て言うの?アマチュアカメラマンのわたしですらこの大御所の書いていらっしゃることに、我が意を得たり、と感じた。ただ、わたしの感覚では昭和40年代の子供の目にその時点での新しい古い関係なく、当たり前にそこにあった光景、または光景を構成してる一つ一つのモノは、ここに来て急減してる。そして、それに引きずられて、街角スナップで撮る枚数が減っている。そう考えると昭和20年代とおっしゃる森山さんが令和3年の目の前の全景から昭和20年代に繋がる被写体と言うか場面、かな?を取り出す力は、それがスナップ写真家のプロたる証のエネルギーなのかもしれないけど、すごいものだなと思う。