ハンバーグ

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たまにせいぜい20年弱前までのある日付を選んで、その日に撮った写真をモニター画面に読み出して眺める。デジタル以前のフイルムカメラで撮っていたころの写真も、ある程度はデジタル化してあるもののそこまで見返すことは少ない。なにか目的があるときもあれば、ふとした気紛れでn年前の同じ頃に撮った写真を見てみようと思い立つときもある。この入院に際しては、ブログを書くときに記事に添える写真を選んでスマホに入れておく作業をしたが、そのときも適当な過去の日付のフォルダーから選んでる。目玉焼きのせ鉄板ハンバーグの写真があった。選んだときに気を付けておけば良かったが、撮った日付をメモしないまま、すこしフォトショでトリミング等の加工をして名前を変えてしまったので日付はわからない。写真を見なければこの外食をしたことなど思い出さなかったに違いないが、前後に撮られていた写真から、藤沢駅江ノ電デパート側に出てからちょっと歩いた雑居ビルの地階にあるステーキ店の昼のランチ(ビーフ100%ハンバーグだったのかな)で食べたことを思い出した。たぶん近くのベトナム料理屋で昼を取ろうとしたのが休みで、その隣の大衆中華の店のまえですこし悩み、気分ではないとかの理由で、はじめてのこの店にしたのだろう。と、ここまで書いてこの続々ノボリゾウ日録の記事を「ハンバーグ」で検索したら2015.9.15の記事にその店に行ったらしく、けっこう詳細な食レポが書いてあった(笑)。一方でこの写真は使われてなかったのでほっとする。入院前にこの写真を選んだときには上記の過去記事に書いてあるトッピングに悩んだことや美味しかったソースのことはもう写真を見ても思い出さなかった。繰り返すが、かろうじて、藤沢の江ノ電デパート側のすこしだけ駅から歩いたビルの地下の店だったことだけ思い出していた。
さて、ハンバーグに関して。ひとつ前のブログ記事にサイクリングコースの思い出を書いたけど、その同じ小学生の頃に、わたしがハンバーグを食べるのは平塚駅前にあったペコちゃん人形が置かれた不二家洋菓子店の2階レストランと決まっていた。いま思うに、ハンバーグは不二家の楽しみであり、家で食べるものではない(家で簡単に出来るものではない)と思っていたんだろう。いや、もしかしたら、母に言わせると、ちゃんとあんたが小さい頃からわたしは作っていたし、好きだったじゃないの!忘れたの?やぁね!となるかもしれないが母の記憶も霞んでいるから、実際は、どうだったかしら?忘れちゃった、と言うんだろう。

昭和2年生まれの亡き父が自分の若かったころのことをわたしにどれだけ話していたのか、そして私は父の思い出話等にさほどの興味もなく、その時点時点での子供の世界の私的または学校での流行に夢中なあまりそんな父の話なんかほとんど忘れているんだろうな。ただ、不二家のハンバーグを美味しい美味しいと食べてる子供のわたしに、(父が)子供の頃にはそんな料理はなかったしハンバーグって言う単語もついこの前まで知らなかったんだと言ったことと、それはドイツにあるハンブルグの料理なのかな?と言ったのを覚えてある。子供のわたしはハンバーグはずっと昔から不二家にあってあり続けてきたものとか、思っていたのだろう。
日本ハンバーグ協会のホームページに、ハンバーグの歴史が書いてあるのを読むと、物語には父が直感したドイツのハンブルグも関係してるようですね。
不二家レストランではハンバーグ(ライス付き)を頼むとナイフとフォークが置かれた。ハンバーグがでてくると、わたしは右手にナイフを、左手にフォークを持ち、最初から食べ終えるまで、その食べ方を維持することに注力していた。少年の頭の中にそれが洋食の食べ方でありマナーであり、それなのに右手にフォークを持ち変えて、ときにはナイフを使わないでフォークでハンバーグをちよちょっと切り分けて食べるなど言語道断!と言う、なんだかカタクナな気持ちがあったのである(いまはそんなことにこだわらずにテキトーに食べちゃってますが)。半ズボンをはいて、坊っちゃんがりの私である。

ある日に撮った写真を時刻に沿って眺める。街角スナップに写すものはある分類に収まってしまい、その種類なんてたいして多くもなく、その種類の少なさに自分で呆れたりする。都会のなかでも限られた条件のなかで自由奔放に広がっていく植物たち、その葉を揺らす風。カバーの被せてある車。捨てられて植物に覆われつつある車。砂浜や公園で広く散らばって遊ぶ人々、ポスターのような街中の画像に、そこに貼られたことによって最初は同じだった複製印刷物が唯一になるように刻まれていく落書きや剥がれや重なりや。三角屋根の工場。昭和40-50年代に流行ったらしい横の線がはっきりとデザインされたようなアメリカっぽい(と私は感じる)一般住宅や医院建築。。。。すると、過去のある日の街角スナップはそのとある一日ゆえの独自性とは裏腹に一方でどこに行っていてもいつも同じで、すなわち私のある一日は、写真でたどっても、被写体側の持つ固有性、街の名前や季節や光の具合や時代の世相を除くと、どれもこれも延々と代わり映えしない無名な繰り返しかもしれない。すると、第三者以上に、撮影者であるわたしが何年も経ったあと鑑賞者としてそう言う写真を見るときには、(第三者以上に)個々の写真の違いが些末になり、どれもこれも言い方を最大乱暴にすれば、結局は全部おんなじ、となりかねないのではないだろうか。ところがそんな中に食べたもの写真が出てくるとサッカーの試合の飲水タイムのように、あるいは泳ぎが下手な人が(私です)25mテストで息継ぎなく(泳ぎが下手な人の多くの理由は息継ぎが出来ない、だろう)泳ぎきってしまったあとの安堵の最初の呼吸のように、ちょっと本来の「懐かしい」感じに見舞われる。食にまつわる記憶って頑丈ってことかもしれないですね。