写真の見え方が変わる

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なんとなく続き)写真があるからそこから思い出せることがあって、なければ思い出せなかったわけで、写真があって良かったなぁと思う。一方で、思い出さなくても良かったことまで、写真なんかがあるせいで思い出させられてしまった、と言うこともあるかもしれない。善悪と言うか功罪とは、ちょっとした迷惑も罪のひとつとカウントすると、ひとつも罪を生まない功も、ひとつも功を生まない罪も、ないことが多いのかもしれないな。特に前者は滅多になくて、こちらを立てればそっちが立たず、と、功が価値を生むのなら今度は価値の均等分配が気になり出すのが、世の常。後者(ひとつも功を生まない罪)はあるかもしれないから、よほど注意が必要だ。

病院のベッドにひとりいるといつもより耳が捉える音に意識的になる。昨日は風の音が凄かった。今日(朝時点)は静かな日曜日だな。遠い病室で誰かが電話している。それが穏やかに会話している男性の声だとわかるが、話の詳細は聞こえない。話(=言葉)が聞き取れないのに、男性が穏やかに電話で話している、と認識される。なんか人の認知能力って凄いものだな。たまに窓ガラス越しに鳥が囀ずる声が聞こえることもある。でも天井のエアコン吹き出し口から、エアコンは消してあるのに、換気システムの空気が作る微風の音?が唯一の音になるくらい静かだ。

写真は2019年、池袋の駅近くのビルの上階にあるレトロな喫茶店で、たまたま窓際の席に座ったら駅前の横断歩道が見下ろせた。窓ガラスに反射したなにか赤っぽい光も写ってる。コロナ禍のいま、この写真を見ると、駅前を歩いてる人達の作る光景はほとんどいまと変わらないようにも見えるが、マスクの有無と言う小さな差異に気が付くと、写真の見え方も変わってしまうのだろうか。写真に小さく写っている人はだれもマスクなんかかけていない。

2011年の4月にTravis Lineと言うタイトルの写真展を開催したときは写真の選択を終えて、A2サイズとA3サイズのプリントはWebからプリント業者に発注し、DMも制作をはじめて準備を比較的余裕を持って進めていた、その最中に東日本大震災が起きた。選んだ写真のなかに、相模川下流の河川敷にある廃車となった自動車の解体現場を撮った写真があって、ある廃車が積み上がった廃車の塔にはそのてっぺんにminiが載っていた。その写真、わたしがそこを撮った動機や、展示作品に選んだ理由は、うまく言葉に出来ないが・・・荒野があり、広い土地があり、廃車処理場には人影なく、青空があり、すなわち都会ではなく、そう言う現場で働く男たちがいて・・・と言うところを舞台にいろんな物語があって、ここではないどこかに=旅へと誘うような夢と鬱屈が写ればいいとか思っている(いちいちそんなことを撮るときは思ってないが、撮る理由を考えるとこう言うことが嗜好にあるんじゃないかな)のではないか。サザンロックやカントリー・ソングのような印象だ。決して暗いわけではない。ところがその写真を震災後に掲示するのをすこし悩みました。そこから津波に流されて廃車になって転がっている被災地の様子の方が(サザンロックの雰囲気とか言うより)はるかに想起させるのではないかと思ったからだ。

池袋駅前交差点の写真はさておき、技術的には例えばJPEG形式のファイル名にひもづいた、不変の変わらない写真データがあるが、その写真データをモニター表示かプリントした「写真」はひとそれぞれでも、同じ人でもいつ見たかでも、見え方や感ずるものが変わる。写真データは不変でも写真は変わっている。