大きな波

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退院後はじめて自家用車を運転してみる。早朝5時台のまだ通勤ラッシュも始まっていない時刻を選ぶ。茅ケ崎市から国道一号線を西へ走り、大磯ロングビーチ/プリンスホテルのあたりから海沿いの国道134号線に入り戻ってきた。相模川の河口近くの有料駐車場に停めて、少しウォーキングをして、そこから家まで戻る7時台にはもう通勤ラッシュも始まっていたが、それでも特に渋滞で停められることもなく帰宅した。退院時に運転はすぐにでも大丈夫と言われていたが、ちょっと座りにくい感じがした。いつもよりのびのびと足が伸びず、シートの位置が前目の方がしっくりくる感じだった。相模川の河口あたりの朝6時、写真を撮っている人、ウォーキングの人、ジョギングの人、サイクリングの人、すでにぽつぽつと人がいる(決して密になるほどではない)。いつも感じるが高い波が次々と入って来る風景を撮っても、その場の風や潮の香りや、なによりも形を変化させつつ寄せてくる波や、それに伴う波の音が、写真ではうまく残らない。現場で見たときの感覚がこじんまりと静止画になるだけのことが多い。いやそれは私の写真テクニックの問題であって、北斎の神奈川沖浪裏のような迫力のある写真だってきっと撮れるのだろうな。しかし、かといってそういう写真を撮りたいという執着心というか希望がないから・・・ただいつものコンデジで日常の行動の一つの時刻にこういう大波を見たということだけだから、それでいいのだ。なんて詭弁で言い訳なのか。それすら判らない。

もし持っていたカメラが違っていたら、カメラによって撮る気分も変化して、違う写真になるのだろうな。

一番上の写真は、相模川河口から少し東の茅ケ崎漁港の方に歩いたところから東の海、登った太陽の光を受けて波がきらきらと輝いているところを撮ったもの。すぐ上の写真は相模川河口から相模川に向かって入って来る波を西を向いて順光(とは言ってもこのときは日は遮られていたのかも)で撮ったものです。すぐ上の写真の遠くの山並みは箱根です。

私自身は一番上の写真の方が気に入っているというかずっと好きですね。でもすぐ上の写真のような遠くの山並みもない、波の高さも(すぐ上の写真と比べて)わかりにくい。平板な構図。朝の光の「白さ」が写っているだけ。

朝が写っているのは一番上の方で、その朝を見てきた(その環境に身を置いてきた)のは私自身で、そこで五感で感じていたことに近い写真がどちらかと言えば、一番上の方であって、だからなんだろう。ということはこれは主観の結果であって、抒情的な選択ということになるのだろう。

この感じが、半月後、ひと月後、一年後、五年後、には、朝に五感で感じていたことを忘れていった結果、なんだかつまらないフラットで白っぽい写真に「過ぎないな」と感じるようになるのかしら?