季節が先を行く感じ

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五月の上旬、春の薔薇がきれいに咲いているのを例えば平塚の花菜ガーデンで見た。そのあと季節を進み、いまはもう菖蒲の花が満開だそうだ。それから紫陽花も近所を歩いているだけでもそこここにある紫陽花が咲いているのに気が付く。それから6月の20日頃が夏至なのだとすると、いまは一番暗くなるのが遅い季節だ。そして私はなかなか夜にならないこの夏至の頃が大好きだ。

なんとなく覚えているのは高校生の頃だろうか、父が家の前の道で自家用車(たぶんホンダのシビックかなにか)を洗っている、強い西日が差している、父はラジオをすぐ横のブロック塀の上に置いてそこからプロ野球放送が始まっている。私は洗車を手伝っていたのだろうか?それとも通学用の自転車のギアチェンジがうまく行かなくなっているので、仕組みなどよくわかないままに試行錯誤で調整用らしいビスを右に左に回してはギアチェンジの調子を当たっていたのかもしれない。プロ野球が始まったのは午後6時だったか6時半だったか。プレイボールの時刻にまだまだ明るくて西日が差して濃い影を作っているのは夏至の頃だけだ。そして当時応援していた広島カープは初回から衣笠選手や山本選手がヒットを打って幸先よく先制点を入れただろう。なんかそういう場面が思い出される。のんびりした休日の夕刻、まだまだ明るいなかラジオからプロ野球放送が聞こえて、ひいきのチームが点を決めている。父の使うホースからほとばしる水はきらきらと光ってときには虹が見える。そういうのが夏至の頃のイメージになっている。

ところが、今年は、自分が季節に敏感に寄り添って、そういう季節のなかに自分がちゃんと属しているという気がしないのだ。ちょっと待ってよ!まだ準備不足だよ!という感じ。ちゃんと受け入れ状態が整っていない上滑りな気持ちのまま、菖蒲ももうすぐ終わる、紫陽花はまだもうちょっと先にしてほしい感じを持っているのにどんどん咲いてくる。夏至の夕刻らしい時間の過ごし方なんてまだなにもしていないのに、もう夏至に近づいている。

それがちょっと焦燥感のようになっていて、地に足が付いていない感じがするのだった。