枇杷の味

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写真上は最近撮った近所の住宅地の中にある空地にはえた夏草のある風景です。

最近なんとなく部屋にいるときに付いていたふたつのテレビの番組、ひとつはタレントが旬のものを求めて各地に行きその場で農家の方や漁師の方に旬の食材を使った料理を作ってもらい食べて「うまい!」と言う番組、もう一つはスタジオのキッチンで人気の料理研究家が今の季節に相応しい料理をちゃちゃっと作りアナウンサーが笑顔で「出来ましたぁ!」と言う番組。後者はちゃちゃっと出来ることがポイントのよう。という二つの番組で使われていたのが枇杷だった。いまが旬らしい。タレントは枇杷農家の枇杷の木のすぐ横で、もいだばかりの実の皮を指で剥いて食べていた。

それでふと思ったのだが、枇杷を食べたことはもちろんある、あるけれどずいぶん長いこと食べていない。そして枇杷とはどんな味だったのか覚えていないのだった。若いころ、食べ終わった枇杷から出てきた種を植えてみたら芽が出たことがあった。誰かに枇杷を育てるのは縁起が悪いことだと聞いた。本当にそんな言い伝え?があるのかどうかは知らないが、枇杷を育てるのをやめにした。近くの公園のちょっと樹木のあるあたりを靴の先で簡単に掘り返して、そこに少しだけ伸びた枇杷を植えてきたのだろうか?覚えてないな。

夕方、待ち望んでいたメールが来て少しほっとしてから、散歩に出る。茅ケ崎駅まで、遠回りをしながら歩く。途中の八百屋に枇杷が最後の一パックがあったが六個くらいのパックのなかの実のうちのひとつかふたつのもう黒くなっている。次に駅ビル一階の八百屋に行ってみたが、贈答用なのか、大きく傷のない綺麗な枇杷が六個くらいはいった箱売りの高価なものを筆頭に、透明パック売りのものにしても、私の感覚からするとずいぶんと高価に思える値段で売られていた。そこで三階の成城石井に行ってみると、そこに(私の感覚として)極めてリーズナブルに個数と価格のバランスが取れていると思われたパック、しかも最後の一つがあったのでそれを買ってから、またとぼとぼ歩いて帰宅した。

枇杷を水洗いをして数時間冷やしてから、夜になって二個食べてみた。ところが食べれば「あぁ、そうそう、これが枇杷だよね!」と言う風にはならないのだ。いまここで枇杷を食べながらも、どれが枇杷の特徴となる味なのかわからないまま、瑞々しいが味がぼんやりした果実を食べている感じ。もし目隠しをして食べたら、これは枇杷だとわかるだろうか?わかるとしたら実は味より舌ざわりというのかそっちからの類推になりそうだ。唯一覚えていたのは、果肉の中心に集まっている種子と果肉のあいだに薄い境界の皮のような部分があって、食べているとその皮がちょっとした違和感になる。あぁ、子供のころちょっとここが苦手だったな、と言うことだった。

そしてあの駅ビル一階で売っていた高価で大きな枇杷だと、もっと味の特徴がわかるのだろうか?と思った。

街はあちらこちらに紫陽花が咲いている。ずっと前からそうだったっけ?住宅地の各戸の小さな隙間のような場所にも紫陽花がたくさん植えられている。子供の頃に住んでいた平屋の長屋の玄関の両側にも紫陽花が植えられていた。あぁ、それからドクダミもたくさん咲いてますね。こっちは子供の頃かくれんぼで隠れた場所なんかでその香りが漂っていたな。

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