つゆくさ

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90年代かな、8mmビデオテープに記録するビデオカメラにインターバルタイマーと言う機能があったので、近所の草むらから開いていないつゆくさの蕾を採ってきて一輪挿しのような花瓶に入れて、開花の様子をその機能で撮ってみた。当たり前だけど蕾から徐々に花が開いて行く様子が撮れた。

テレワークのウェブで参加する会議予定を見たら8時過ぎから18時ころまでぎっしりに近い。今日は蒸し暑くなるらしい。昨日が28℃の30%だとして、今日は同じ28℃でも70%くらいにはなるそうだ。そこで、朝6時台にウォーキングに出る。私より年配の方が三々五々歩いている。畑のある地域に行く。ビニールハウスの中では収穫期を迎えているトマトが生っているが、これからなにかが植えられる予定らしく更地が均してあるビニールハウスもある。トマトが生っているハウスを近寄って覗くことはしない。李下に冠を正さず、である。でも更地のハウスは近寄ってちょっと覗いてみる。屋根のパイプの骨組みが影になっている。明るい乾いた土が見える。ほぉ、と言ってみる。「歩くひと」のように。自転車に乗って突っ走っていく人に何度も出会う。自転車を漕ぎながら同時にスマホ操作をしている人もけっこういる。まぁ、いいとかいけない、とかではなくそれが今の時代だろう。むくどり、ひよどり、しじゅうから、すずめ、はしぼそからす、こちどり、ひばり。畑の真ん中の乾いた土の上でひばりが盛んに囀る。飛び立って羽根を不器用にぱたぱたやりながら囀るのがひばりだと思っていたが、地面にすくっと立ったまま囀る。無人野菜売り場には新たまねぎや青梅やにんにく。畑の片隅に植えられた花々が咲いている。グラジオラス、紫陽花、ストック・・・かな。三十分もすると暑くなり、Tシャツの上に着ていた薄手の夏用カーディガンを脱いで手に持った。

木々はブロッコリーのようだ。保坂和志が小説について書いている本に「ブロッコリーのような木」と言う比喩のことを、否定的に書いていたな。だけどいま知人に借りて読んでいる恩田陸の小説には、ブロッコリーのような森林という比喩があったな。保坂さんは定番となっている比喩を安易に使うことのつまらなさを言いたかったんだっけ。ブロッコリーのような木を背景に手前に赤い橋があり、その上を白い日傘をさした人が歩いていく。

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なんだか写真二枚、直線だらけですね。