電車

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確かではないけど、電車に乗るのは二か月か二か月半ぶりだったかもしれない。今日、関東は、東海はじめ他のいくつかの地域にずいぶん遅れて梅雨入りしたそうだ。電車の窓からも低い曇り空が広がっているのが見える。電車の窓から写真を撮ることを機会があればずっと続けてきた。ずっとと言うのは十五年くらいかもしれない。コンデジでプログラムモードで撮ってきたので、写る写真において主被写体を止めて、前後の距離にあるものを流す「逆流し撮り」を試みてきて、1/500秒とか1/250秒くらいならときどき成功するが1/100秒とかもっと遅くなると、ピントの合う距離は極めて狭い範囲となり、そこにぴったり止めたかった被写体が入る、すなわち思い通りのところだけが止まって写ることは滅多にない。超ロングシュートが決まるくらいの確率か。あるいは30mのフリーキックでゴールが決まるとか。十五年もその低い確率の写真を撮り続けてきて、それなのに、前後は流れなくなるけれど、それでも被写体を止めるべく高速シャッターにしてみるという「試み」をしたことが全くなかった気がする。ところが今日は、なんかふと思いついて、シャッター速度優先モードで、使っているコンデジの一番の高速のシャッター速度である1/2000秒選んでみた。すると、上の写真もそうだけれど、ほとんど全部の車窓から撮った写真がちゃんと「止まって」写っていた。なんだ、最初っからこうやって撮れば良かったのではないか・・・とも思うが、上記の滅多に撮れない、低い確率の前後が流れて、止めたいところが止まった写真、の持っている面白さは感じられないのだった。

なんだかこう書いてみると、世の常の縮図みたいですね。スポーツではジャイアントキリングは滅多に起きないが起きるとすごく感動する。きっと同様の「いちかばちか」の戦略が「たまたま」「偶然に」うまくはまって、いまや大企業になっている経営の歴史とか、そういうヒストリーというのかが、見えないところでたくさんあるのだろう。

映画「2001年宇宙の旅」でコンピューターHALとの対決において、ひとり生き残った(名前は忘れちゃったけど主人公の)宇宙飛行士が、HAL自身から、その攻撃手段は失敗確率の方が圧倒的に高い、と警告を受けつつ、その選択した方法を「奇跡的に」成功させたことで物語の局面が入れ替わる場面があったような気がする。

こういう成功は滅多に起きないのに、それを期待する「希望的観測」に寄り添ってしまうのが、人心なのかもしれないですね。たまにうまくいくから悪いことではないが。